学芸員コラム
2021年8月21日
第130回:感染症流行下において博物館ができること
8月3日から7日にかけて博物館実習が行われました。これは学芸員をめざす学生が収蔵資料の取り扱いや博物館の実務の一部を体験するといった行事ですが、昨年度については新型コロナウイルス感染症(以下、「コロナ」という)の影響により中止となったことから、入庁2年目の私にとって今回がはじめての経験となりました。実習生が全日程を熱心に取り組む様子から、私自身も身が引き締まり、仕事に対する気持ちを新たにするよい機会となりました。
実習の最終日には学生から5日間の感想を聞く機会に恵まれましたが、その中で「コロナによってオンライン授業がメインとなったことで実物資料に触れる機会が激減していたため、実物に触れることのできる実習は大変ありがたかった」といった意見が複数寄せられたことが印象的でした。コロナによって物事を実際に体験する機会が激減し、その結果、学生の生活面や精神面に大きな負担があったと感じました。私自身コロナの流行と同時期に社会人となりましたが、新天地で、周辺に頼れる人もいない中での生活は精神的にきつかった時期があったことから、なおさら共感できたのかもしれません。
そういえば、いまから約100年前に私と同じくして社会人になった方の記録が当館に所蔵されています。当館の主要な収蔵品の一つとなるコレクションを収集された高橋秀吉(1899~1979)の記録です。大正6年(1917)春にはじめて社会人となった高橋秀吉は、後年に記したとみられる回想録のなかで「社会人になつてからの私」と題された項目を設けており、当時「まづ健康にと心がけて」、生活環境が変わった際には特に気をつかっていたといいます。
そして、高橋が社会人となった翌年から2年間、流行性感冒、いわゆる「スペインかぜ」が姫路でも流行しました。高橋の遺した日記には「流行性感冒」やその略称である「流感」、あるいは「インフルエンザ」といった単語が散見され、「流感」に罹患して寝込む高橋の様子がうかがえます。
流行性感冒には高橋自身も少なくとも2回罹患しており、当時の姫路の様子とともに、先の回想にも次のような描写があります。
私の家の近所にも死者が多かつたが、当時、火葬場では焼ききれなくて、棺が並んで順を待つというほどであつた。私も二年とも、これ(流行性感冒:筆者加筆)にかかつたが、すぐさま寝こんで、例の三木先生に診てもらつて、(中略)いち早く体を休めたゞけでこの大流行の悪病の危うさも逃れえた
「姫路の人生五〇年」より
この記載からは、姫路でも火葬場が対応できないほど死者を出していたことがうかがえ、パンデミックの威力に驚かされます。
近代社会において伝染病に対する衛生システムが構築されていく過程では、地域社会のなかに社会的差別を生み出すこともありました。伝染病が流行するなかで差別が生まれてしまうのは、残念ながら今も変わらないようです。そうした偏見に陥ることを避けるためには、他者に対する共感が今こそ必要なのではないでしょうか。そうだとするならば、コロナのパンデミックが生じている今、人と人が触れ合い、共感することができる博物館ができることはなんでしょうか。模索が続きます。