学芸員コラム
2020年8月18日
第122回志賀直哉『流行感冒』
志賀直哉の小説に、100年ほど前のスペインかぜの流行を題材にしたものがあります。『流行感冒』という短編です。
『流行感冒』は、大正8年(1919)3月の執筆。日本では前年の大正7年秋ごろからスペインかぜの第一波に見舞われていました。小説では、ちょうどこの真っ最中のできことが描かれています。
最初の子どもを亡くしていた主人公は、まだ幼い次女の健康には日ごろからかなり気を遣っていました。そのころ、流行感冒が主人公の住む我孫子(千葉県)にもはやって来ました。主人公は神経質になり、家にいる若い使用人の「きみ」と「石」の二人にも、町に用事で出る際には店先で長話などしないように、などと喧しく注意していました。
そんな中、10月中旬に毎年恒例の旅役者の芝居興行がやってきました。主人公も普段は使用人たちが見物に行くことを許していたのですが、今回は特別に禁じ、感冒の流行が収まったら東京の芝居を見せてあげるつもりにしていました。
その晩9時前ごろ、石が出かけていることがわかりました。きみに尋ねると、薪を頼みに行ったといいます。こんな夜更けにおかしいので、主人公は石が芝居を見に行ったのだと判断しました。結局、その晩12時ごろまで待っても石は帰ってきませんでした。主人公は少し風邪気味だったので、妻と次女とは別の部屋で床に就きました。
翌朝、主人公は帰っていた石を質しました。しかし石は芝居には行っていない、とかなりはっきりと答えました。どうも信じられませんでしたが、これ以上疑うのもいやなのでその場はそれで収め、妻には次女を石に抱かせないように、と言いつけました。しかし、主人公が来客と別棟の書斎で会っていると、次女を抱いた石が妻と一緒にやってきました。
主人公は妻と石を叱ります。次女がむずがる気まずい空気の中、石はどこかへ駈けて行ってしまい、気がつくときみも家からいなくなっていました。その後、石の親の話から、石はやはり芝居に行っていたことが判明します。主人公の脳裏には邪推が広がり、石に暇を出そうとしますが、妻からの石の世間体を気遣う意見を聞いて、解雇は思いとどまります。
小説の前半を少し詳しめに紹介しましたが、主人公が今の我々と同じように感染症対策に努めていることが読み取れます。長話をしない、人の集まるところへは行かない、風邪気味なので妻子とは別の部屋に床を取るなど、かなりの注意をはらっています。100年前の人々も、個人でできる対策としては、今とあまり変わらない方法で努力していたことがうかがえます。そしてこの用心が、石を傷つけることになったのです。
さて、小説では、このあと一番神経質になっていたはずの主人公が家中で最初に罹患、妻やきみ、さらには東京から呼んだ看護師にまで感染が広がっていく中で、石だけが次女の世話に家事にと一人奮闘する、という展開になりました。主人公は、彼の失態を責める気配もなくただ一心に働く石を見直し、石への気持ちが和らぎます。年が明けるころ、石に縁談がやってきました。主人公は、石の夫がよい人で、石が幸せになることを願っている、という結びになります。
感染症対策に神経質になる余り石を傷つけてしまった主人公ですが、結局彼自身が最初に罹患して家内の感染源になってしまうという空回り感、そしてそのことが石の素朴なよさに気付かせ、和解への転機になる、といった点がこの小説の読みどころでしょう。
このたびのコロナ禍、いまだに自分が遭遇していることが現実とは信じられない気持ちもあります。100年前に直哉が描いたようなちょっとよい話が、こんな中でも生まれてくれていればと思います。
【参照テキスト】
志賀直哉『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫、1985年改版)