3月16日(土)より特別展「首里城と琉球王国」が開幕しました。

 本展は、50年を迎えた兵庫県と沖縄県の友愛提携を記念して行われる展覧会です。同時に、本展は当館の開館40周年を記念して行う展覧会でもあります。また、当館では開館40周年を迎えるに先立ち、施設設備改修工事をしていました。その関係から、工事後1年間については様子見のため、他機関でご所蔵の指定文化財の借用を控えておりましたが、本展から本格的に指定品をお借りして展覧会を開催することができました。

 展示は第1部:首里城と琉球王国の歴史、第2部:琉球王国の美術工芸、第3部:琉球の民俗、第4部:歴史文化の記録・復興・継承の4部構成です。私は第1部の歴史分野と第4部の首里城令和の復興を担当しています。第1部では、近世琉球を中心に、グスク時代(古琉球期)から琉球王国の終焉(しゅうえん)(「琉球処分(廃琉置県)」)までを取り上げています。

 なかでも、琉球王府に仕えた(サムレー)と呼ばれる役人が作成を義務づけられた「()()」は、その家の家系図と、各代の就いた役職や功績などが記されています。展示では、家譜と、家譜を継ぎ足すために作成された仕次(しつぎ)と呼ばれる資料のほか、家譜作成のために”こより”でまとめられた一紙ものの資料など、家譜作成に関わる資料をご覧いただけます。内容をじっくりご覧いただくと、様々な点に気づかされます。

 たとえば、家譜に()されたさまざまな種類の印。(しょう)姓家(せいか)()大宗(たいそう)の冒頭に捺された朱方印(しゅほういん)「首里之印」や、仕次の中央上部に捺された方印「(けい)()封印(ふういん)」は、系図が王府(系図座(けいずざ))のチェックを経た資料で、家譜が現在でいう公文書に近いものであることを示しています。

 なお、出品している重要文化財「伊江(いえ)御殿(ウドゥン)家関係資料」の向家は、琉球国王の分家(支流)にあたります。康煕30年(1692)に王家一門であることを明らかにするために、姓を「向(しょう)」とすることを命じられたことによります。琉球王府の役人((サムレー)の)名前も特徴があり興味深いのですが、今回は割愛します。

 また、家譜作成のためには、記載の根拠となる資料が必要とされていました。

文書綴(新城家文書のうち)
第二尚氏時代 19世紀 那覇市歴史博物館蔵

 このように、家譜に記載される内容は王府機関による厳密な点検・修正がおこなわれたといわれています。しかし、最新の研究によれば、家譜作成の根拠となる書類が(つづ)られた文書綴のなかには、家譜に記載されなかった資料もあるようです。家譜に記載される内容とそうでない内容の線引きはどこにあったのか、王府機関の系図座が、家譜をどういった観点でチェックしていたのかも含めて、考えてみたい疑問点の尽きない資料です。

(来月につづく)

特別展「首里城と琉球王国」ページリンク

※ 写真データは他機関様より借用しているものです。無断転載はご遠慮ください。