学芸員コラム
2016年3月15日
第72回:播磨の駅家研究 2人の先達 鎌谷木三次/今里幾次
古代の律令制下において、中央の都と全国の国府は計画的に作られた道(古代官道)で結ばれ、人や情報を迅速にやり取りさせる交通システムが設けられていました。その道を使って都と各国を往還する使者に、馬の乗り換えや休憩、宿泊などの便を供する施設が「駅家(うまや)」です。
全国をネットワークする古代官道に沿って、400ヶ所以上の駅家が設けられていたことは文献などで知られていますが、実際の遺跡とつき合わせて現地の状況が明らかとなっている例は限られます。そうした中、播磨国では山陽道に沿った9つの駅家のうち実に4ヶ所が、発掘調査などによって内容の一部が確かめられています。
こうした成果をもとに、播磨における駅家研究は学界をリードする立場にあると言えますが、それは何も偶然の発見ばかりによるものではありません。その多くは播磨の考古学界を切り開いてきた2人の人物の業績を抜きにしては語れないものです。以下、2人のパイオニアによる播磨の古代史研究の一端をご紹介しながら、研究史を振り返ってみましょう。
◆ 鎌谷(かまたに)木三次(きそじ)
明治35年、旧神崎郡香寺町(現姫路市香寺町)の出身で、近所にあった溝口廃寺の古瓦で遊んだ幼児の体験に始まり、長じては戦前から戦後にかけて播磨一円を踏査して、古代の瓦、出土鏡や神社などの調査研究を行った方です。下記に紹介する『播磨上代寺院阯の研究』は昭和17年の刊行で、もう太平洋戦争が始まっている時代によくこれだけの書物を出せたものと思いつつも、いやあの時代だからこそ世に出しておかねばならないとの切迫感に駆られていたのだろうと感じます。
その『播磨上代寺院阯の研究』には、古代瓦の出土地が播磨全体で34ヶ所列挙されていて、播磨において古代の遺跡を研究する上では、現在でもなお基本的な文献です。当時は、瓦の出土地=寺跡という解釈が一般的で、同書でも国分寺以外は「○○廃寺」という表現がなされています。それでもそれらの寺跡の分布・立地などを分析した上で、一部が山陽道に沿って並ぶことを指摘し、「類聚三代格 駅傳事」の記述ともからめて駅家との関連性に言及しつつ、古代の交通を論じているのは慧眼であったと言えます。
◆ 今里(いまざと)幾次(いくじ)
大正8年、旧飾磨郡飾磨町(現姫路市飾磨区)の出身で、銀行に勤めるかたわら、考古遺物の採集や研究を精力的に行い、数々の論文を発表して、戦後の播磨の考古学界を牽引してこられた人物です。同氏の調査研究活動は昭和10年代から現在まで継続していて、綿密に整理された調査記録、克明な資料の観察をもとに発表された論文は数多く、播磨においてその学恩に浴していない研究者はいないでしょう。その一方で、会社員としても要職を歴任し、役員まで勤め上げられるなど、その姿勢はなかなか真似のできるものではありません。
同氏が、播磨の古代瓦の文様の体系化を通じて抽出した「播磨国府系瓦」(下図)によって、国府・国分寺など国司が関与した公共的な施設では、播磨国内で共通した8組の瓦を用いていることが明らかとなりました。これにより山陽道沿いの寺跡と考えられていた遺跡の一部が実は「駅家」であった、という画期的な発見につながりました。
◆ おわりに
昭和61年に、駅家の推定地の1つのたつの市小犬丸遺跡から「驛」の墨書土器や「布勢駅」の木簡が出土し、日本で初めて文字資料で駅家が確定しました。この「布勢駅家」の発見をきっかけに、市教育委員会が継続的な調査を行い、築地塀に囲まれた瓦葺き建物群という内部構造が確かめられるという結果につながりました。
やはり古瓦の出土地として知られていた上郡町落地遺跡においても、平成13年に駅家の遺構が山林の中に良好に遺存していることが判明し、「野磨駅家」であることが確定しました。その後の調査によって、築地塀の土塁、瓦葺き建物の基壇と礎石、山陽道に面した八脚門と門柱の礎石となる唐居敷など、駅家がより立体的に復原できる画期的な成果が得られています。なお同遺跡では、平成2年にも、瓦葺き以前の初期駅家とみられる遺構も見つかっています。
平成19年にオープンした県立考古博物館では、「兵庫県内における古代官道に関する調査」を研究テーマとし、加古川市古大内遺跡が「賀古駅家」、明石市長坂寺遺跡が「(仮称)邑美駅家」であるとする調査成果を得ることができました。
以上4つの駅家に続いて、昨年(平成27年)は「大市駅家」と目される姫路市向山遺跡の発掘調査で礎石が出土して、播磨の駅家としては5ヶ所目の発見につながる可能性が高まりました。さらに姫路城城下町の下層から奈良時代の役所に関わる瓦葺き建物の痕跡が見つかるなど、古代官衙に関する新たな知見が相次いでいます。こうした播磨の駅家研究の進展も、鎌谷木三次、今里幾次両氏の業績の延長線上にあると言ってよいでしょう。