いつもは一、二ヶ月前の話題を取り上げることの多いこのブログですが、今回は速報です。

 11月3日の祝日、「播磨綿まつり」に出かけ、収穫期を迎えている和綿と洋綿を実見してきました。秋晴れの下、あたり一面刈り取られた田圃が広がり、その一画に小さな綿畑が見え、近づくとテントの下に複数の人々の姿があります。よく見るとシートが敷かれ、子どもたちも参加して、綿繰りと糸紡ぎが行われているのです。

 綿繰りは、毛の吹いた綿を綿繰り器の回転する棒の間を通り、種子と綿毛を選別するのです。ベテランの婦人の指導で、小学生が奮闘しています。

 その隣は糸紡ぎで、綿毛を紙縒り(こより)のようにして車軸を廻すと、面白いように綿毛が繋がって糸になっていきます。ただしそれは「綿まつり」13年を経験してきたベテランの技で、わたしなんかにはマネはできません。

 驚いたのは専用の綿繰り器(木製)が、中古品でなく新品で、聞けば、作る業者がいるというではありませんか。それに対し糸紡ぎ器は、歳月を感じさせる中古品で、長年、使われてきたんだな・・・と年輪を感じさせます。

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 作業しているテントの傍には、三筋ほどの畝の綿が、秋の日差しを受けて輝いています。幹は太く、葉も稠密で、高さがほぼ揃っています。吹く前の桃(たしかに小さな桃の形)がぶら下がり、なかにははじけて白い綿毛が吹いているものも見えます。

洋綿

 ところがそれとは別に、明らかに長身で、半ば垂れ下がった綿も植えられており、そこにも白い綿毛が見えます。まつりの世話人である吉田ふみゑさんに聞くと、洋綿と和綿だそうで、姿形の違いに驚きました。

和綿

 歴史の授業で、機械による綿糸業が展開する上で、輸入される毛足の長い洋綿が、短い和綿を駆逐したので日本綿作は衰退していった、と教えていた「和綿と洋綿」が、目の前に植えられているのです。こんなに姿が違うのかと、初体験で驚くばかり。

 驚きはそれに止まりませんでした。吉田さんが「館長さんやってみて」と促され、種子の周りの綿毛を引っ張ってみると、洋綿の綿毛の伸びること伸びること。それに対し、和綿の伸びの少なさ。まるで綿毛の身長が違うのです。黒い塊は種子ですが、その間の綿毛の長さの違いは明瞭です。

和綿(上)と洋綿(下)

 これが歴史の本に書いてある和綿と洋綿の差かと、うなるほかありません。日頃、見たこともないのに知ったふりして言うな!と自分を戒めてきましたが、今回は完全に甲を脱ぎます。生きている内に見て理解することができてよかった、と心底、思いました。

 吉田さんによると、綿を栽培することで一番大変なのは綿摘みだということを知ってもらうことを目的に「綿まつり」を始めたそうですが、その彼女、「稲岡工業株式会社文書」保存会の事務局を担っておられ、年一回発行の『わたの里通信誌』を送っていただいたことで、保存会の活動を知り、今回の綿まつり参加となった次第です。

 『わたの里通信誌』によると江戸時代の後期、木綿(長束木綿)生産が盛んであった印南郡では、明治40年代にタオル工場が族生し、その中心が稲岡工業株式会社であった由。会社の倒産後、残された膨大な資料の整理と保存のために2014年に生まれたのが保存会ということで、片や屋内での膨大な資料の整理、片や屋外での綿まつり、という二つの事業が結びついて展開されているのです。

 今後、博物館としても協力できればと思います。