桜満開のこの時期に、連日、戦争の話題を目にし耳にするとは・・・ 2月24日(木)の「特別な軍事行動」という公式表明の下、ロシアによる隣国ウクライナへの軍事侵攻が始まり、約50日間、戦争状態が続いています。この不法・不当な戦争が、一日も早く終わることを願いながら、「戦争」について記します。

 ザ・フォーク・クルセダーズが「戦争を知らない子供たち」を歌ってヒットしたのは1970年。作詞の北山修氏は1946年生まれで、当時、京都府立医科大学の医学生。二歳年下のわたしも学生でした。アジア太平洋戦争を体験していないということで、「戦争を知らずにぼくらは育った」という歌詞は、団塊の世代には身に沁みるものでしたが、実際には、アメリカによるベトナム戦争(1955~1975)の真っ只中でした。 テレビも新聞も、ベトナム戦争に触れない日はなかった。そこでわたしたちは、戦争を知った。いや、戦争を「意識」したのです。

 先日行われた芸術文化観光専門職大学の入学式で、学長の平田オリザ氏は、ロシアのウクライナ侵攻を批判しながら、こう発言しています(同氏から届いたメールによる。『神戸新聞』にも掲載)。

 皆さんにとって、初めて経験する大規模な戦争ということになるでしょう。私にとってのそれは、1991年の湾岸戦争、そしてボスニアヘルツェゴビナの紛争でした。ベトナム戦争の頃はまだ幼かったので、この二つが私にとって初めて戦争を意識した体験ということになります。

 世代が若返ることで、意識する戦争体験が、湾岸戦争とボスニアヘルツェゴビナの紛争に変わっています。したがってこの度のロシアの侵攻は、Z世代(1990年代以降の生まれ)の若者たちに、戦争を「意識」させる大きな契機となるでしょう。戦後に生まれたわたしたちは、それぞれの戦争体験を持っているのです。

 その場合、現代社会では、「外交の延長線上に戦争があり、外交と戦争を組み合わせて国家利益を実現する」という考えが国際的に否定されているという事実が重要です。この度のロシアの侵攻が、国際社会から非難されているのは、その重大なルールをロシアが一方的に破っているからです。大沼保昭著『「歴史認識」とは何か』(中公新書、2015)によって、そのことを知りました。

 大沼氏は、欧米列強がこれまでの戦争観を捨て、とにかく戦争を否定する方向に向かった結果、できたのが国際連盟(1920)であり、不戦条約(1928)による戦争の違法化だと指摘します。その大きなきっかけは、約2600万人の犠牲者を出した第一次世界大戦だということです。

 この世界大戦について、わたしは長らく正確な認識をしていませんでした。その理由は、日本が戦場にならなかったことにあると思います。ところが、しばしば欧州各地を行脚するなかで学ぶ機会を得ています。

 その一つは、ベルギーのイーペル(Ieper)に行った時のことです。ベルギーの西部、ブリュージュに近いこの歴史都市、ガイドブックでは「猫祭り」の町として有名で、その名を知っている人も少なくないでしょう。わたしも一度、見学していますが、この祭りは、第二次世界大戦時に空襲で焼失した庁舎を再現した新市庁舎前で行われるのです。

猫祭りのパレード(2009年5月)

 この町が戦禍と無縁でないということの現れですが、2003年6月、友人に案内されて目にしたのは、その郊外に延々と広がる墓地でした。

 墓地は複数のブロックに分かれていますが、墓碑の総数1万786基。イギリスの7367人を筆頭に、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・インドの英帝国(当時)の兵士たちが圧倒的に多く、フランスと並んで敵国ドイツの兵士も埋葬されています。

軍人墓地の墓碑

 当時の塹壕も整備して残されていますが、林立する墓標は、地上戦のすさまじさを偲ばせます。軍人だけでなく、民間人の被災者も含め、約26万の墓碑銘を刻む沖縄の「平和の礎」にも圧倒されますが、イーペルの墓碑を通じてわたしは、第1次世界大戦について学ぶ機会を得たのです。

 戦争は、終結後に、「検証」と「慰霊」という大きな作業が待っています。この度のロシアのウクライナ侵攻には、まだ終点が見えていませんが、世界の人びとは、それを繰り返すことで、戦争を歴史的に捉えてきたのだと思います。