特別展 阪神・淡路大震災30年 特別展「阪神・淡路大震災を伝える・知らせる ― 情報と通信の1990年代 ― 」 開催期間: 2025年01月11日(土) 〜 2025年03月16日(日)
報道関係の方へ
本展に関して、新聞、広報誌、テレビ等にて掲載・放送するにあたり、下記の「記者発表資料」をご覧いただき、「資料請求書」の提出をお願いいたします。
(※下部に記者発表資料(PDF)と資料請求書(Word)のデータを添付します。)
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。このとき、新聞やテレビ・ラジオは被災地のようすを伝え、自治体や支援者はラジオやパンフレットを通じて被災者に必要な情報を伝えました。そして被災した人たち自身が、みずからの経験を伝え、共有するため、さまざまなことに取り組みました。この展覧会は、震災後の被災、支援、復興にかかわることがらについて、人びとがどのように社会へ伝え、共有しようとしたのかを、1990年代の情報と通信のあり方から考えるものです。
展覧会のタイトルに用いられた「伝える・知らせる」には、ふたつの含意があります。
ひとつめは、震災当時、被害の状況や、生きるために必要な情報を同じ時代の人たちに伝え、知らせること。ふたつめは、震災の体験を記録し、次の世代へ伝え、知らせること。このふたつの視点から、震災後に人びとがどのように伝え、知らせようとしたのかを振り返ります。
また、この展覧会は、神戸大学大学院人文学研究科・文学部の学生や教員とともに準備を進めました。学生がそれぞれの視点から捉えた資料もあわせて展示します。震災を記録した資料に、現在の私たちがどのように向き合うかを考える機会ともなれば幸いです。
展覧会のみどころ
兵庫県立歴史博物館として初めて阪神・淡路大震災をテーマとした展示です
これまで兵庫県立歴史博物館では、災害史や被災文化財等をテーマにした展示を行ってきましたが、阪神・淡路大震災をテーマとした展示は初めてです。兵庫県内に残されたさまざまな資料から、阪神・淡路大震災と当時の社会を考えます。
「情報と通信」の視点から、阪神・淡路大震災に関するさまざまな資料を展示します
阪神・淡路大震災からの30年間、兵庫県内ではさまざまな機関や団体、個人が、震災に関する記録や資料を集め、保存してきました。この展示では、人と防災未来センターや神戸大学附属図書館震災文庫のほか、市民ボランティアの団体や個人が現在にまで保存してきた震災当時の資料を、「情報と通信」の視点から展示します。
神戸大学の学生が展示準備に取り組みました
この展示は、神戸大学大学院人文学研究科・文学部の学生や教員とともに準備を進めてきました。展示の一部については、神戸大学の学生が展示する資料を選び、解説文章を作成しました。現在の私たちが、震災にどのように向き合うかを考える機会にもなります。
開催概要
会期 | 令和7年(2025)1月11日(土)~3月16日(日) 56日間 |
開館時間 | 10:00~17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜日、1月14日、2月25日 ※1月13日、2月24日は開館 |
会場 | 兵庫県立歴史博物館 特別展示室 〒670-0012 兵庫県姫路市本町68 電話:079-288-9011 FAX:079-288-9013 |
主催 | 兵庫県立歴史博物館、神戸新聞社 |
後援 | 兵庫県、兵庫県教育委員会、NHK神戸放送局、サンテレビジョン、ラジオ関西 |
特別協力 | 一般財団法人日伯協会、神戸市立海外移住と文化の交流センター、神戸大学大学院人文学研究科・文学部、神戸大学附属図書館震災文庫、市立伊丹ミュージアム、震災・まちのアーカイブ、特定非営利活動法人エフエムわいわい、阪神・淡路大震災記念人と防災未来センター |
協力 | 山陽電気鉄道株式会社、神姫バス株式会社 |
協賛 | 公益財団法人日本教育公務員弘済会兵庫支部 |
大人 | 1000円(800円) |
大学生 | 700円(550円) |
70歳以上 | 500円(400円) |
障がい者 | 一般:250円(200円) 大学生:150円(100円) |
高校生以下 | 無料(無料) |
備考 | ※( )内は20人以上の団体料金 ※障がい者1人につき、介護者1人は無料 |
前売券(800円)を下記のとおり販売します
販売期間:12月7日(土)から1月10日(金)まで
- 兵庫県立歴史博物館
- 姫路市立美術館友の会
- 中井三成堂
- (公財)姫路市中小企業共済センター
- 姫路市文化国際交流財団(姫路キャスパホール)
展覧会の構成とおもな展示資料
1. 情報と通信の1990年代
1990年代は、日本社会において情報と通信のあり方が少しずつ変化しはじめる時期でした。情報を伝える手段として、郵便や固定電話が主力でしたが、1995年ごろから携帯電話の利用が進みます。情報を集めるという点においては、従来のテレビや新聞だけでなく、新たにインターネットが普及しはじめました。
そしてこの時期、兵庫県では高度成長期のような人口増加は見られなくなりつつある一方で、1980年代からは東アジアの外国人住民が増加し、それまでにも多かった中国や朝鮮半島にくわえ、フィリピンやベトナムなど、多様なルーツを持つ人びとが兵庫県内に住むようになりました。
2. 被災地を伝える
1月17日の地震発生直後、電気や電話などの通信手段が寸断され、被災地に立地していた新聞やテレビ、ラジオなどの報道機関も被害を受けたために、被害のようすはすぐには伝わりませんでした。しかし、地元神戸の報道機関は自身も大きな被害を受けながらも、すぐさま震災についての報道を始め、被害の詳細や生活に必要な情報を伝えました。ここでは、そうした取り組みに関する当時の資料を紹介します。
3. 必要な情報を伝える
阪神・淡路大震災後、全国各地から数多くのボランティアが駆けつけ、被災者への支援に取り組みました。その人数は、1997年末の時点でのべ約180万人にものぼると言われます。
震災直後から避難所運営や炊き出し、医療、物資などの局面で大きな役割を果たしたボランティアたちは、被災者への情報発信を重視しました。テレビやラジオからの情報に十分に頼れないなか、炊き出し、救援物資、病院の開院状況のほか、役所での支援窓口の紹介など、ボランティア団体それぞれの活動に即した情報を発信しました。
その際、日本語話者ではない被災者へ、どのように情報を届けるのかが課題となります。神戸市内でも多くの在日外国人が住む長田区では、多言語による情報発信が精力的に行われ、そうした活動が基盤となって震災後のまちづくりへつながりました。
ここでは、ボランティア団体が発行したニュースレターなどから、震災後のボランティア活動の一部を紹介するとともに、震災後の地域づくりの活動への展開を振り返ります。また、行政による復興政策に市民がどのように向き合ったのかについても資料からたどります。
4. 体験を伝える
震災後、人びとは自身が体験し、見た光景をさまざまなかたちで記録しようとしました。それは、詩、絵画、写真、語りなど、それぞれ方法と内容は異なりますが、この震災を他の人たちと共有し、次の時代へつなぐ大切な役割を持っています。震災の体験が、どのように伝えられてきたのかについて、いくつかの事例を紹介します。