2年前の令和元年10月31日未明の首里城の大火災を覚えておられるでしょうか?

世界遺産首里城の正殿が、紅蓮の炎に包まれているのを、テレビを通じて、唖然として見ていたのを思い起こします。

 一夜にして焼け落ちた首里城の「見せる復興」が進められている沖縄県に、5月半ば、行ってきました。昨今、全国的に新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が解除されていることから、あらためてご報告いたします。

 目的は、昨年6月12日に再開園され、「見せる復興」が進められている首里城公園内の視察です。梅雨入りして間もない那覇でしたが、その日は汗ばむほどの夏空。2時間かけて被災の状況をつぶさに実見しました。案内をしてくれたのは50年来の友人高良倉吉さん(琉球大学名誉教授)。現在進行中の首里城正殿復興のリーダーを任されています。

高良倉吉さん(左)
高良倉吉さん(左)と筆者(右)

 首里城正殿の復元は1989年に着手され、沖縄の復帰20年に当たる92年に公開されましたが、その後も城内施設の復元が続けられ、2020年3月にはすべての事業が完了する、というところで19年10月31日未明の大火災。正殿ほか8棟が焼失しましたが、テレビ取材を受けてコメントする彼の悲壮な姿を見ていて、わたしも涙が止まりませんでした。プロジェクトに関って30年。訪沖する度に会うのが慣わしでしたが、いま何処を復元整備している、そこでの課題は何か、新たに発見された資料はこれだ、など彼の話題の中心にはつねに首里城がありました。したがって首里城正殿の被災は、わたしにとっても「他人ごと」ではなかったのです。

 5月13日の午後3時半、守礼の門で待ち合わせ歩き始めましたが、歓会門・瑞泉門を経て、広福門(券売所)・奉神門(改札)に至る坂道は、よほど注意しない限り、その先に正殿があった時と変わりません。しかし奉神門を(くぐ)り、御庭(うなー)に一歩足を踏み入れたところで、立ちすくみました。目の前に、あの極彩色の正殿がないのです。代わって目を奪ったのは、黒いビニール袋の塊。聞けば、被災した瓦を集めて保管しているとか。使えるものはなんでも、復元整備に使用するのが、今回の復興の精神だそうです。

城内にならぶ黒いビニール袋
城内にならぶ黒いビニール袋

 被災した正殿の屋根に鎮座していた龍の頭は支柱の鉄が曲がり、正面の階段の左右に立っていた龍柱は、3メートルを超える細粒砂岩の逸品ですが、将来、「火災に耐えた」歴史遺産として展示される予定です。

 「見せる復興」のハイライトは、皮肉にも焼失することで姿を現した正殿の遺構。世界遺産首里城跡の構成要素のなかでも特筆されるものです。沖縄戦によって焼失した首里城跡には戦後、琉球大学の本部が建てられたのですが、工事関係者は、17世紀に遡るこの石組が将来、沖縄文化の復興に役立つだろうと保存対策をとって建設を進めた話は、テレビ番組「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で聞いていましたが、実際に見て感動を覚えました。

 梅雨の時候ということで普段、この時期の沖縄訪問は避けていたので、初夏の那覇は初めてでしたが、白い花を付けた月桃が迎えてくれ、城内跡でも目を引きました。その近くには、祭祀施設御嶽(うたき)と井戸(がー)があります。

 2019年に復元された御内原(おうちばら)(後宮に当たり、庭園遺構が注目)を上りきると、(あがり)のアザナ(物見台)に至ります。振り返ると建物がなく広々とした首里城の向こうに、那覇・泊の港越しに青い海原が光っています。あらためて正殿のない首里城の異常さに気付きました。

 なおパンフレットによれば、正殿の復元は2026年の完成を目指しています。有料区域の見学時間は午前9時から午後5時半まで。入場料金は大人400円、高校生300円、小中学生160円。日没後は城壁のライトアップが実施されています。