秋も深まってきました。漢詩の世界では、春夏秋冬をそれぞれ三期に分けて表現します。秋なら孟秋・仲秋・季秋となり、孟秋は8月、仲秋は9月、10月は季秋に当たるでしょうか。そんな秋に、二つの別れがありました。

 まず7月末をもって井戸敏三知事が県庁を去られ、あらたに齋藤元彦知事が着任されました。わたしは平成26年(2014)4月1日付で、兵庫県立歴史博物館館長を拝命しましたが、辞令は任命権者である高井芳朗教育長(当時)から受けました。したがって、井戸知事にはお会いしていません。ところがその年の10月14日、灘のけんか祭り宵宮を見学に出かけた折に、松原八幡宮でお目にかかる機会がありました。 

家永善文氏(中央)とともに(松原八幡神社境内にて)
神輿とそれぞれの色のシデ棒(東山はピンク)

 友の会会員でもある地元東山にお住まいの家永善文氏の案内で、午後、村々を巡行してきた屋台がつぎつぎと宮入りするのを見学しました。夕刻には屋台が楼門を出て、神社前の広場に揃い、練り合わせが行われますが、その頃、社前に設けられた貴賓席に井戸知事が石見利勝姫路市長(当時)ともども来られました。家永氏が「歴史博物館の館長も来ている」と伝えられたことで、妻ともども同席することになりました。お酒もだされており、妻に酒杯を渡しながら、「お忙しい先生に館長職を引き受けていただきありがとうございます」と挨拶され、恐縮したことを思い出します。当時わたしが、関大教授と館長の二足のわらじを履いていたことを念頭に話されたことばだと思います。

 多忙な知事にお目にかかる機会は決して多くありませんが、昨年10月7日、播磨管内の用務の際に博物館を訪問されました。特別展「女たちのひょうご」を観覧されましたが、さらに筆保次長(当時)の案内で館内施設を実地見分され、収蔵庫の中まで足を踏み入れられました。その時、ロビーの雨漏りの現場も見ていただいたことは、この度の大規模改修の実現に役立ったと思います。

 コロナ感染対策という大きな課題の下、財政事情の苦しい中で知事としてご英断頂いたことに心より御礼を申し上げます。

 さて、その大規模改修に向けて、9月5日の特別企画展「唱歌!西洋音楽がやって来た」の閉幕とともに、その翌日から博物館は休館に入りました。そこで、日頃、受付で観覧者の応対をしていただいた歴博メイトさんや会場監視のスタッフにとの別れがやってきました。二つ目のお別れです。

 博物館の直接雇用や派遣会社からの派遣など、雇用形態は異なりますが、全員女性で、しかも歴博への愛情に溢れた方々でした。非正規で、しかもこちらの休館の都合で休んでもらったり、コロナ対応で業務を替えてもらったりするなど、いろいろ面倒をかけましたが、よくぞ歴博を支えていただきました。感謝の気持ちで一杯です。

 なかにはわたしが館長として着任した年から勤務されている人もおり、また結婚と出産で一時、離れていながら、再び、歴博に戻ってこられた方もいます。

 そんな彼女たちに新米館長のわたしは、歴博の現状について意見を求めたことがありました。後日、文書としてわたしの許に届けられ、わたしの館長日誌にいまも収まっています。

それは、①受付業務として、事前に知らせて頂きたいこと、②館内のこと、③みんなの家関連に分かれて、記されています。「お客様から指摘があったこと」としては、順路がわかりつらい、案内板を分かりやすく設置してほしい、ロッカーの故障が多くて不便、などなど、日頃、観覧者にもっとも多く接しているスタッフたちならではの事項が記されています。

それらは大規模改修後、少しでも改善されることを願っています。

なお大規模改修後、受付の位置がロビーの中央に出てくる予定なので、案内係の役割はさらに大きくなるでしょう。

改修後のロビーと受付カウンター予想図

 博物館のハードルを下げること、博物館の風通しを良くすること―それは、館長としてのわたしの願いです。彼女たちとの別れを通じて、その想いは一層、強くなりました。