長引くコロナ禍に加えて天候不順――今年の8月は青空、とくに抜けるような青空とほぼ無縁です。異常な年です。そこで抜けるような青空を思い出したく今月の話題は、オリンピックの聖地ギリシャへ。

 ギリシャには二度、行っています。一度目は1980年8月、東ヨーロッパからトルコへ抜ける途次に立ち寄りました。連日の肉料理に飽きたお腹を、ギリシャの海鮮料理が癒してくれたので記憶が鮮明です。二度目は2009年5月、半年間のベルギー滞在中に小旅行を楽しみました。

 首都アテネは、EU政府から緊縮財政政策の実施を迫られているという不況の最中で、路上生活者が目立ち、時折、労働者のデモ行進に出会いました。なぜか野良犬が多く、妻が怖がっていました。

労働者のデモ行進

 初日は現地人ガイドの案内でアクロポリスの丘などの名所巡り。お目当てのパルテノン神殿(世界遺産)は、発見された19世紀初めの姿に戻すべく作業が進められ、一部、鉄骨が組まれていましたが、やはり圧巻です。その他、エレクティオン(ポセイドンの神殿)・ディオニオス劇場跡・アドリアヌスの図書館跡などを廻り、ギリシャ旅情が高まってきました。

パルテノン神殿(世界遺産)

 しかしギリシャを、「アテネだけで計るな」という知人の勧めで翌日は、郊外のスニオン岬へ。小さなバスに揺られること90分、その先にポセイドンの神殿跡の柱廊が目に入ってきます。下車すると北風が身体を揺する地に、小さな神殿が立っているのです。ギリシャ人がいかに、<神>とともに生きていたか、考えさせられる光景でした。

 パルテノン神殿は紀元前368年に完成したものですが、国立考古博物館に入ると、その時代がいかに「新しい」か、知ることとなります。有名なギリシャ彫刻が多数、陳列され、子どもたちの目を輝かせていますが、わたしの眼目は、エーゲ海の先史時代、とくにミケーネ文明の遺物です。ドイツの歴史学者シュリーマンによって発見されたことは、彼の著作『古代への情熱』によってよく知られていますが、その遺物と出会えるのです。

アテネ国立考古学博物館内の展示

 しかも驚くなかれ、ミケーネ文明の年代はじつに紀元前16世紀~12世紀というもの。展示物には色分けで、時期が示されているのですが、パルテノンが、古典時代からヘレニズム時代へ移行する頃に位置することを思えば、彼の地の悠久の歴史に目がくらみます。

色分けされた年代

 日頃、身についている日本の歴史の年代観がいかにチマチマしたものか・・・考えさせられます。しかも当時すでに、絵文字と並んで線文字と呼ばれるミケーネ文字があったといいますから、驚きです(しかも線文字Bはすでに解読されている!)*。

 遺跡と博物館巡りの間には、クルージングを楽しみました。アテネ近郊ペイライアス(ピレウス)の港から一日、イドラ島・ポロス島などを客船で巡航したのです。ギリシャの青空は、その時、目に焼き付いたものですが、同時に、はためくギリシャ国旗の多さにも目を奪われました。ギリシャは、日本と同じ海洋国でもありました。

* 弓削達『地中海世界』講談社学術文庫2020による。