館長ブログ
2021年1月28日
神戸と姫路~歴史博物館はどこにある?~
新年を迎えて半月。元日の穏やかさが一転、大寒波が襲来し、各地で雪害が報じられていました。くわえて、とどまるところを知らない新型コロナウイルス感染の拡大。首都圏に次いで、兵庫県・大阪府などにも緊急事態宣言が再度、発令されました。
そんな中、当館のイベントボランティア「れきはく倶楽部」の加藤さんから、年賀の挨拶としてアマビエの置物を頂きました。昨年のコロナ感染を受けて一躍「厄除け」として有名になったアマビエの力で、一日も早くコロナ禍が収まることを願うものです。
年度末を迎え、いつものように新年度に向け、特別企画展の展示計画の策定、もよおし案内の制作などが進む一方、旧年度の事業を掲載した博物館年報や博物館紀要・ひょうご歴史研究室紀要などの刊行物の編集作業が進んでいます。そのうち博物館年報は、大幅に改定されることになりました。変更点はいくつかあるのですが、大きな変更点の一つが巻頭に配された年表です。これまでの「沿革」は、歴史博物館でありながら、みずからの歴史を表現するにはあまりに貧弱であるという反省から、大きな改定を施しました。
それを眺めていて改めて気づいたのは、兵庫県立歴史博物館が、県庁所在地の神戸でなく、姫路にあるという事実です。私たちはそれを当然と思っていますが、知人のなかには「神戸にある博物館じゃないの?」と真顔で問うてくる人がいます。そこには、「博物館は県庁所在地にある」という理解とともに、「博物館の立地はどうして決まるか」という問いがあります。
当館の場合、昭和50(1975)年9月に「歴史を中心とした人文系の総合博物館」構想が発表され、54年3月、57年秋を目途に姫路市に建設するという基本事項が決定されています。その背景には、国宝姫路城(当時はまだ世界遺産に登録されていない)のある姫路市の熱心な招致があった、ということですので、県庁所在地よりは、姫路城のある場所が歴史博物館の所在地としてふさわしいと判断されたのだと思われます。そして昭和58(1983)年4月1日、姫路城天守にほど近い現在の地に開館し、この4月から39年目に入ります。
ここで重要な点は、歴史系博物館の立地は県庁所在地に限定されていない、という事実です。たとえば国立歴史民俗博物館は、日本の首都東京にはありません。京都でも奈良でもなく、成田空港に近い千葉県佐倉市にあります。その代わり都内には、江戸東京博物館という都の施設があります。空の玄関口成田空港の存在とともに、国と都の歴史系博物館の住み分けの結果といえるでしょう。
大阪も同様で、市内にあるのは市立の大阪歴史博物館で、府立の近つ飛鳥・弥生文化・狭山池の三博物館は、府下の河南町・和泉市・大阪狭山市に分散しています。文化庁の指定する池上・曽根遺跡をはじめ、歴史的な場所を選んで建てられていることの現れです。
同様に、大分県立歴史博物館は県庁所在地大分でなく宇佐神宮を擁する宇佐市、出雲古代歴史館は松江市でなく出雲大社(出雲市)の傍にあります。また多賀城跡の近くにある東北歴史博物館(多賀城市)や、縄文時代の火炎土器で知られる新潟県立歴史博物館(長岡市)などは、わざわざふくやま草戸千軒ミュージアムと呼称している福山市の広島県立歴史博物館などと同様、立地の背景には、重要な遺跡の発見があります。それは、文化財の保護・活用を担う部署のある教育委員会の管轄下に博物館があることと照応しています。
もちろん鳥取や香川・長崎・岐阜など、県庁所在地にある歴史博物館もありますが、この場合、旧城下町や奉行所跡といった江戸時代の政庁が、明治維新後、県庁に引き継がれることで立地するようになったと思われます。その意味で、歴史性を重視していることに変わりはありません。
歴史博物館は、美術館や動物園などと異なり、それぞれの都道府県の歴史を象徴する場所が立地として考慮されているのです。兵庫県の場合、それが姫路でした。姫路にある兵庫県立歴史博物館、と覚えていただきたいと願います。
なお、当館では30日から特別企画展「絵そらごとの楽しみ」が始まります。しっかりと感染対策をとった上での開館ですので、ぜひご来館いただき、ご観覧願いたいと思います。