姫路駅中央改札を出て右手、大手前通りの先に見える姫路城は、いつ見ても惚れ惚れします。もし駅からバスに乗り、停留所から歩いてビルディングを曲がった先に姫路城があったとしたら、この感動は得られるでしょうか?姫路城が、世界遺産であることの価値の一つは、この遠望にあると言ってよいでしょう。

 この大手前通りには左右にイチョウと楠が植えられていますが、いま一つ目立つのは彫刻された銅像の数々。とりわけ女性の銅像が多く、しかも裸体が並んでいます。ことさら注目しないと見過しますが、数えると銅像16体のうち女性が15体で、裸身像が7体。作者は男性に限らず、女性もいます。

 しかも銅像は、ギリシアの女神ではなく、まさに日本の女性をかたどったもの。女性に向けられた強烈な視線を感じますが、日常、あえてそのことに違和感を持たないのが、現代のわたしたちの性感覚でしょうか。

 そんな現代人の感覚から江戸時代の女性を思い浮かべた時、そこに感じるのは違和感でしょうか、それとも共感でしょうか?

 開催中の特別展「女たちのひょうご」は、「千姫から緒方八重まで」とあるように、江戸時代の女性に焦点を当てています。150年以上も前の江戸時代の女性といえば、中学校の歴史教科書には「女性の地位を男性よりも低くみなす男尊女卑の考え方も強まりました」とあるだけで、固有名詞で出て来るのは出雲阿国と皇女和宮くらい。明治に入ると津田梅子や与謝野晶子が登場し、それまでが「女のいない世の中」であったことが分かります。

 固有名詞の女性が登場しないことと男性に比べた女性の劣位は、メダルの表と裏で、貴族・武士のみならず、百姓・町人の家においても家父長制秩序が確立していったことを反映しています。その結果、嫁や主婦として「家」に所属することが目標となり、家から離れることは女性の貧困に直結しました。当然、政治はもちろん、経済でも文化でも、宗教でも活躍するのは男性で、女性が表舞台に出ることがない。したがって女性が教科書に登場しない―となります。

 高等学校の教科書になっても大同小異で、基本的な枠組みは変わりません。しかし「それはおかしい」。わたしたちの先祖も含め、日本の各地には固有名詞を持ってしっかりと生き抜いた女性たちがいるはずだとして1980年代以降、単身、江戸の女性を発掘していった女性がいます。現在は静岡県掛川市にお住まいの柴桂子さんで、全国の公共図書館を訪ね歩くことで女性を発掘していったのです。彼女は、その人々を「江戸の女ともだち」と呼んでいます。

 わたしにとって興味深いのは、彼女は主婦であり、大学や研究機関の研究者ではないこと。そんな彼女が20年余、「江戸の女ともだち」を調査し、さらに各地に同志を得ることで、じつに1万2000人の女性たちが発掘されました。北は北海道から沖縄までカバーしており、1000ページを超える『江戸期おんな表現者事典』(現代書館、2015年)に収められています。

 特別展「女たちのひょうご」は、そうした1980年代以降の近世女性史研究の成果を受け、企画されたものですが、それを観覧者に理解してもらおうと10月31日の館長トークには、柴さんとともに沢山美果子さん、岡ベティーナさんを招いて語り合いました。80代、60代、50代の女性たちです。さらに11月6日には、神戸新聞姫路本社村上早百合代表と姫路市網干区浜田にある尼寺不徹寺の松山照紀住職を招いて鼎談しました。江戸の女性は、現代の女性と男性に何を訴えているのか・・・をめぐって。

 「女でない」わたしにとってもそれは、とても有意義なものでした。

11月6日に行われた鼎談のようす(神戸新聞社提供)