館長ブログ
2020年7月16日
オランダ・ライデン国立民族学博物館―特別展「驚異と怪異」によせて―
当初の会期を変更して6月23日(火)から、特別展「驚異と怪異―モンスターたちは告げる―」を開催することができました。早々に観覧された方々からは、コロナ感染対策をした上で開館していることにお礼と励ましの言葉を頂いております。8月16日(日)の会期末まで、何事もないことを祈っております。
さて、この度の特別展は、降って湧いた「アマビエ」人気に引っ張られた印象がありますが、実際の展示は、水・天・地それぞれの「想像界の生きものたち」を紹介するコーナーが大きなスペースを占め、来館者を魅了しています。ここには国立民族学博物館(大阪千里に所在、1977年開設)の所蔵品が、多数、展示されています。そして後半、ライデン国立民族博物館蔵の人魚のミイラや個人蔵の件 の剥製など、さも実在すると思わせる「生きもの」が登場し、引きつけられます。撮影OKの件 は大人気ですが、人魚のミイラにはレントゲン写真が添えられ、それが人工品であることが暴露されているなど、「驚異と怪異」を複眼的に描いているのが、わたしには印象的です。
展示物の所蔵先から窺えるように、この度の特別展は、国立民族学博物館とライデン国立民族学博物館の競演の色合いがあります。70年万博の後、1977年にその跡地に開館したわが国の国立民族学博物館に対し、ライデン国立民族博物館の開設は1837年。日本の年号で言えば、天保8年、ちょうど大塩平八郎の乱が起きた年ですから、ガイドブックが「世界で最古の民族博物館」と紹介するのも納得されます(Brill社のWalking Guide To Asian Leiden 2017による。)写真は民族学博物館の近影です。ライデン大学に勤める若い友人が6月に撮影してくれたものです。
当時日本は、オランダ東インド会社との間に通商関係をもち、長崎出島にオランダ商館(今日、特別史跡である跡地で復元工事が進み、観光地として著名)が設けられていました。なかでも商館付き医師フォン・シーボルトは、教科書にも載り有名ですが、彼のコレクションの収蔵が、1837年の民族学博物館の創設の大きな画期となったということです。さらにもうひとつ前身として1816 年、国王ウイレムⅠ世がハーグに設けた王立骨とう品陳列室があり、そこには、長官ブロンホフと帳簿掛フィッシャーが、それぞれ日本から持ち帰ったコレクションが収められていたのです。1883年、王立骨とう品陳列室が閉鎖されることで、このコレクションはライデンの民族学博物館に移り、現在に至っています。その意味で、オランダが設立した世界最古の民族学博物館の最初の対象は、じつは「江戸時代の日本」であったのです。人魚のミイラも、そこに含まれていました。
わが国の民族学博物館が、70年万博に展示されたオセアニアなどの民族資料をコレクションとして展示することでスタートしたことを想起する時、時計の針が、一回りした感じがします。19世紀半ばに西洋から、珍奇な対象として「見られ」た日本が、20世紀の後半に、オセアニアなどを未知の対象として「見る」側に移ったのです。
1995年10月に初めてライデン(英語発音ではレイデン)を訪れたとき、一番の印象は、オランダ国鉄のライデン駅の前に駐輪していた自転車の多さでした。夏でも冬でも自転車は通勤の足で、その高さと頑丈さは日本のママチャリの比ではありません。2009年にも再訪しましたが、駅は一新され、駐輪する自転車も幾分、少なくなった気がしますが、駅から中心部に行く景観は変わっていません。
1995年時にはメインストリートに、芭蕉の俳句「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」を大書した垂れ幕がビルの屋上から下げられていたのですが、2009年は、舞妓さんの写真の横断幕でした。町の書店にも日本のコーナーがあります。日本とアジアを体感させる町、それがライデンです。
もしオランダに行かれる機会があれば、ライデン・ハーグ・アムステルダムを、鉄道でハシゴしてみられてはいかがでしょうか?
シーボルトのライデンに対し、ハーグにはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を展示するマウリッツハイス美術館、そしてアムステルダムには、オランダの至宝レンブラントの「夜警」などを展示する国立美術館があります。