わたしの手許に、点字の用紙があります。目をつぶって触ると小さな突起が指に感じられます。左から右に並んでいます。表と裏に凹凸があり、点字用の機械で打ったことがわかりますが、わたしにはそれが読めません。

 視覚障がい者のための点字紙が手許にあるのは、昨年までの約10年間、尼崎市の「ひかり学級」で講演を続けてきたからです。もちろん耳で聞いていただくのですが、ボランティアの方が講演の要旨を点字で打って、当日、配布されるのです。それを毎回、記念にもらっています。いわば点字の講演記録です。昨年11月に最終回を迎えたのですが、終了後、控室にお二人のご婦人が挨拶に来られました。この10年間、欠かさず出席されていた方で見覚えがあります。「先生のお顔が見られないので、代わりに手を握らせてください」とおっしゃり、右手での握手となりました。この会話と体験、生まれて初めてです。40年近く大学の教壇に立ち、市民講座でも話してきましたが、どこにいっても受講生は晴眼者。聞き手が視覚障がい者は、この「ひかり学級」だけでした。

 目が「見えない」から「触る」―これは現在、博物館の世界ではユニバーサルデザインとして話題となっています。たとえば『日経新聞』3月20日号に「視覚障がい者のための手で見る博物館」館長川又若菜さんの記事が掲載されていますが、冒頭、「百聞は一触にしかず」という造語を紹介しています。「一見」でなく「一触」。このことば、初代館長桜井政太郎氏の遺した言葉だそうです。「目が見えない」高校生の桜井が、博物館でヘビのはく製を触ろうとして係の人に制止されたのが、「手で見る博物館」(1981年開館)が生まれるきっかけだったといいます。

 2011年、川又さんは桜井の遺志を継ぎ、岩手県盛岡市の自宅2階の博物館にはクジラの骨やサメのはく製、興福寺の50分1模型などが開陳されているそうですが、彼女は晴眼者。父親が盲学校教諭で桜井と同僚であった縁から、後継者を志望された由。

 TVなどでは電子顕微鏡で撮影したコロナウイルスの画像が映されますが、わたしたち晴眼者にも「見えない」「触れない」。それが、恐怖感に結びついています。

 外出自粛令が頻繁に出される少し前、友人たちと京都に出かけ、八坂神社に立ち寄ったのですが、若い参拝者の多いこと。しかも季節外れの茅の輪が置かれています。

この茅の輪、通常6月、夏越の季節に出されますが、コロナウイルスの脅威を前にして3月に登板となったそうです。さすが悪疫退散の神社、祇園さんならではと納得させられます。

 目に見えず、触ることもできない脅威や驚異に対し人々はかつて、姿かたちを造形して、悪疫退散の祈祷を捧げました。その歴史的な記憶がいま、再現されようとしています。

 鳥取県の三徳山三仏寺発行のこのお札、「厄除け大師」とも称された平安時代天台宗の僧、良源、元三大師に因むものです。館長室の扉に張って、守護してもらっています。