地球温暖化のなか各地では、師走に紅葉のシーズンを迎えています。先日、訪れた書写山圓教寺には、多くの参拝客が紅葉を目当てに参拝されていましたが、期待に違わず見事な紅葉(写真1)。観光客でごったがえす京都の寺社と異なり、静かな紅葉狩りを楽しむことができました。

 その一方、町ではクリスマスの華やかな飾り付けが煌めき、目を奪われます。10月末のハローウインといい、クリスマスと言い、わたしたち戦後すぐに生まれた世代には経験しなかった世界が、大きく広がっています。「歳を取る」とは、こういうことだと嫌でも思い知らされます。

 その一方、「子ども時代」には変わらないものもあるのでは、と感じる瞬間もあります。というのも11月に二度、県のトライやるウイークで姫路市内の中学生を受け入れたことで、そんな思いを抱いたのです。

 コロナ禍での中断を経て再開されたトライやるウイークだけに、新鮮な印象がありました。姫路市内の中学校3校から7名の中学2年生が、それぞれ4日間、レキハク(歴史博物館)に来てくれました。

 事前に書いてもらったアンケートには、それぞれの理由と抱負が記され、その初々しさと真面目さに感じ入ります。「館長に聞いてみたいこと」という項目もあり、トライやる期間中に予定されている一度きりの対談を、わたしは心待ちにしていました。終了後には、感想を寄せてくれるというオマケまでありました。

 終わってみればアッという間だったのではないかと思いますが、館内で見かける彼らとともに新風が吹いている――そんな印象を与えてくれました(写真2・3)。

 わたしの少年時代には、そういう洒落た就労体験はありませんでしたが、小学校6年生の時に社会見学で訪れた新聞社の印象は、わたしがのちに歴史研究者として歩む人生の第一歩であったことは間違いありません。それで思うのです、12~13歳という年頃にヒトは、他人とは異なる自分の将来のイメージを最初に持つのではないかと。

 そこで思い出すのが、小説家村上龍(昭和27年生まれ)氏が、2003年11月に発表した絵本『13歳のハローワーク』(幻冬舎、はまのゆか絵)。芥川賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』の著者が書いた絵本に驚きましたが、大ヒット作となったばかりか、その後に『新13歳のハローワーク』が出て、いまや公式サイトも設けられています。そこには「中高生のための・・・未来のヒントに出会う場所」とあります。

 同時にわたしにはもう一冊、思い出す、いや思い出してしまう本があります。『ぼくは12歳』という作品で、1975年7月、12歳9か月で自死した少年の遺作です。わたしが手にしたのは新編(1985年、角川文庫版)で、岡真史君の詩・作文・読書感想文に、両親(高史明・岡百合子)が読者と交わした書簡を付けて出版されたものです。

 「あとがき」に、こうあります。

思えば、この詩集が出版されてから、私たちは、全国の中学生・高校生から、実に多くの手紙をいただいている。小学生や大学生、また大人の方からの手紙も多いが、圧倒的に多いのは、やはり中学生・高校生の方々からの手紙である。それは、この年齢の方々が、亡き子の詩集の言葉の中に同じこころの揺れを見てとられたからではあるまいか。

「あとがき」(岡真史『ぼくは12歳』(1985年、角川文庫)より)

 「中高生のための・・・未来のヒントに出会う場所」と「中学生・高校生の方々からの手紙」――その期間がいかに重要か、語られています。とうの昔にわたしは通り過ぎてしまいましたが、トライやる・ウイークで出会う中学生たちを通じてわたしは、あらためてその瞬間の大切さに気付かされたように思います。

 最後に岡真史君の詩「ぼくの心」を一編、紹介します。

からしをぬったよ体に そうしたら ふつうになったんだ 

よっぽど あまかったネ ぼくの心って

「ぼくの心」(岡真史『ぼくは12歳』(1985年、角川文庫)より)