今夏の猛暑を忘れさせてくれる秋の気配に、四季があることの有難さを感じる今日この頃です。そんな猛暑のなか、二つの博物館との出会いがありました。

 一つは、2020年7月に開館した国立アイヌ民族博物館です。JR室蘭本線の白老駅から徒歩でも行けますが、札幌に住む知人の車で2時間。そこに民族共生象徴空間ウポポイ(アイヌ語で大勢で歌う)がありました。

 宇宙船の形を想起させる博物館はその一つの施設に過ぎず、その周囲の東エリアには伝統的コタン・草木の見本園・工房、西エリアには体験学習室・体験ホール・芝生広場が点在し、その間にポロト湖が広がっています。それぞれの施設にはすべて日本語とアイヌ語が併用され、「共生」の精神が貫かれているのです。

 国立アイヌ民族博物館の展示ー個人的には大阪千里にある国立民族学博物館の展示手法を髣髴とさせましたーを見た後、霧雨の中、東エリアを歩いたのですが、伝統的コタンの一つの家屋(チセ)には火が焚かれ、生活様式の一端を垣間見ることができました。施設全体が、あまりにも周囲の風景に溶け込んでおり、かつてあった白老アイヌのコタン(集落)が、民族共生象徴空間ウポポイの前身であったのではないか、と思うほどでした。

 わたしがアイヌの展示を初めて見たのは1999年の夏、アメリカの首都ワシントンでした。正確な場所は忘れましたが、展示されていたチセの印象は残っています。1993年、国連で「世界の先住民の国際年」が宣言され、1995年から「世界の先住民の国際の10年」が始まったことから、先住民先進国であるアメリカでアイヌ展が開催されたのです。

 当時滞在していたプリンストン大学のデビッド・ハウエル教授が、企画委員として協力したので見に行ってと頼まれ、実現したのですが、日本史研究者であるハウエル氏は北海道大学に留学したことで、「日本史のなかの北海道」を研究テーマとされていたのです。

 あれから30年が経ったこととなりますが、日本にとっては2008年、国会で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択され、それを推進したアイヌ推進会議で「民族共生の象徴空間」の創出が提唱されていました。その結果が、民族共生象徴空間ウポポイの誕生だったのでしょうか。

 「はじめてのウポポイならこの三ヶ所は外せない」「約3時間でアイヌ文化を楽しむことができる」というパンフレットの通りに、小雨降る中、堪能したのは言うまでもありません。

 もう一カ所は、JRの車内広告を見て出かけた佐川美術館です。本命は、そこで開催されていた「高山辰雄展」を見ることで、その会場がたままた佐川美術館であった、というのが流れです。

 しかしJR守山駅からのバスを降りてチケットを買って敷地に入った瞬間、驚きました。琵琶湖の湖面に浮かぶ屋形船よろしく、妻入り家屋形式の博物館が、浮かぶように立っていたのです。琵琶湖湖岸を選定したオーナーの意図が如実に感じられます。

 並んだ長い二棟建物のうち一棟は特別企画展、もう一棟は常設展専用で、平山郁夫と佐藤忠良の作品が展示され、さらに地下に楽吉左衛門の部屋があるのですから、そこにもこの美術館の姿勢が窺えます。

 その特別企画展が、高山辰雄展でした。1912年に大分市に生まれ、上京して東京美術学校に入学し、首席で卒業したという逸材ですが、展示では在学中に発表した「温泉」から、晩年80歳代の作品「聖家族」まで、その全貌が示され、わたしの期待を十分に満たしてくれました。

 何に惹かれるのか、と問われると困るのですが、記憶していた画家高山の名とともに、ポスターに添えてあった「人間をみつめ、考え、描いた一人の画家の生涯」というキャッチコピーに引き寄せられたのかもしれません。

 大正に生まれ、戦前に自己形成を済ませた男性が、戦後、さらにどう生き直し、何を考えてきたか、その遍歴を知りたい―という、わたしがここ数年抱いている想いに、この画家が応えてくれたと思える一日でした。