淡路島の近くに、沼島(ぬしま)という小さな島があるのをご存じでしょうか?

 周囲約10㎞、人口400人前後と面積も小さく人口も少ない島ですが、歴史的にも文化的にもとても魅力にあふれた島です。

 新プロジェクトXの初回に取り上げられた「明石海峡大橋」のお蔭で、淡路島には本土から車で自由に往来ができますが、この沼島、船で行くほかないのです。博物館に併設されているひょうご歴史研究室に令和2年(2020)、「鳴門の渦潮」調査研究プロジェクトを立ち上げられたことで、足を運ぶ機会に恵まれています。この8月には、漁協所蔵文書調査のお礼を兼ねて、報告会を開催することでの訪問となりました。

 ひょうたんの型をした淡路島の背中にポツンとあるこの島、対岸の土生(はぶ)港から沼島汽船で約10分、一日に10便、小型フェリーが往復しています(写真1)。土生港には南あわじ市の福浦(ふくら)からバスの便がありますが本数が少なく、自家用車で通う人がほとんど。それぞれに土生港に駐車して、荷物片手に乗り込みます。

 穏やかな海面を眺め、話している間に沼島に着きます(写真2)。扇の形をしたこの島、フェリーはその軸の部分(西)に設けられた港に着きます。その右手は漁港で、南岸には漁船が繋がれ、津波対策工事が進んでいます。

 島の案内地図(写真3)に従って港から歩くこと数分で、浜通りに出ます。浜通りは港町特有の狭い街路が延びており、そこに家屋が連なります。途中に水場があり、島の貴重な用水源であることが示されています(写真4)。街区の中央には八幡宮と神宮寺が、神仏分離以前の姿でいまもあります。

 そこから道は左(東)に折れて、沼島小・中学校を過ぎると茅原が続き、抜けると荒波の海が強い風と共に迎えてくれます。さきほどまでの静けさが嘘のような荒々しい印象です。そこにはショウジョウバエ・ヒラバエ、上立神岩・下立神岩、屏風岩といった奇岩からなる景観が広がっています(写真5)。

 バエとは当地の方言で「磯に出た石」のことだとして、手元にある『淡路国名所図会』(暁鐘成著・松川半山画)は「波倍」の字を当てています。ショウジョウバエは、漁師が猩々に求められ酒を与えたことから、その名は生まれたと記しています。図「猩々礁」が添えてありますが、東側を描いた「土生浦より沼島眺望」と比べてみると、その違いに驚かされます(写真6)。『図会』は、青石や温石などの名品をあげていますが、それも含めてこの景観、紀淡海峡に面する沼島が、西南日本から関東にかけて日本列島を横断する中央構造 線の上に位置していることの証です。

 この奇観は、さまざまな伝承を生みました。とくに上立神・下立神は「竜宮の門柱」とも、イザナミ・イザナギ二神が造った「おのころ島」とも称されると『図会』にある通りです。また紀貫之は土佐への途次に通過し、梶原景時や秦の武文の武功などの伝承にも登場するなど、沼島が海路の要衝であったことを示唆します。

 一方、その立地から漁師が多く、伊勢や対馬に出漁すると『淡路国名所図会』にありますが、現地での聞き取りや漁協の記録からも、それは証明されています。文字通り、海人の島といえるでしょう。

 近年はとくに鱧漁で知られ、夏場は鱧チリを楽しむ客で賑わうとのこと。昼食に食べた蕎麦に添えられた鱧の天ぷらも、じつに美味しいものでした。

 ぜひとも沼島に行ってみて下さい。

*上神立岩の写真は、ひょうご歴史研究室坂江渉プロジェクトリーダーの提供です。