朝夕、JRで大阪・姫路間を通勤していると、須磨から明石の間で「海」が迫ってくる。その色は、青い日もあれば、黒く見える時や空と一つになって無色に見える瞬間もある。隣の座席に向かい、「携帯なんか見ているときじゃないよ!」と声を掛けたくなる。通勤時の「唯一の癒し」である。

 そんな瀬戸内の海からとれる魚―今ならさしずめハモを、姫路の人たちはマエドレという。漢字を当てれば「前獲れ」となり、目の前の海から獲れたばかりで、新鮮で、美味しいという意味も込められている。住まいの前に豊かな海があることを、生活者レベルで捉えた巧みな表現として、初めて耳にして以来、気に入っている。

 そんなマエドレの海は、漁師さんをはじめ海上生活を生業とする人々の歴史的世界であった。海に生きる生物を展示するのが水族館であるなら、海に生きる人々の世界を紹介するのは、海の博物館である。ただし水族館は、生きている魚類などを展示することに工夫を凝らしているが、海の博物館は、海に生きる人々の往時の姿を見せることに重点がある。その意味で、海の博物館は、一つの歴史博物館なのである。

 この種の博物館の先駆的存在としては、瀬戸内海歴史民俗資料館が著名である。現在は香川県立ミュージアムの分館として位置付けられているが、開館でいえば昭和48年とずっと先輩。当館と比べても10歳年長である。

歴史民俗博物館の名は歴史系の博物館として全国に多数あるが、ミソは「瀬戸内海」と命名されているところにある。したがって瀬戸内の「海の博物館」である。

 五色台という瀬戸大橋を見下ろす丘の上に、海の城よろしく立っているが、なによりも凄いのは2万点を超す収蔵品の数。なかでもハイライトは、瀬戸内地方の漁労用具・船大工用具・背負い運搬道具約6000点で、一括して国の重要有形民俗文化財に指定されている。

 中央の建物を中心に、その周囲に10の展示室を配することで、観覧者は、階段で移動しながら展示室から一度、外に出て、再び展示室に入るという設定がなされている。内と外を繰り返すのは、雨の日なら鬱陶しいが、2年前に訪れたのは晴れた日であったので新鮮な印象を得ることができた。

 瀬戸内と言えば、3年ごとに開催されている瀬戸内国際芸術祭の会場として知られている。コロナ禍を経て、来年、開催の予定と聞くが、瀬戸内の島々を会場にしたモダンアートの展示が特徴。2019年に訪れた時には、沙弥島で見た作品「そらあみ」に感動した。まさに網という漁具が、そのままアートに転じていたのである。民俗とアートの共演と言えるだろう。

写真3 五十嵐靖晃作 そらあみ(島巡り)

 ところが今年に入って、予想外にも「最新」の海の博物館に出会うこととなった。場所は伊勢湾で、正式名称が「海の博物館」、三重県鳥羽市の市立博物館でもある。

 鳥羽から石鏡に向かうパールロードの途中にあり、三重交通のカモメバスに揺られて35分、バス停を降りると、海女を描いた大きな看板が迎えてくれる。目の前には、二つの展示棟と並んで、船の収蔵庫と体験学習室などがあるが、複数の棟を配置する構成は、瀬戸内海歴史民俗資料館に似ている。使命は、「海女をはじめとする鳥羽・志摩地域の漁業と漁村文化」を紹介することにあり、天井の高い展示棟の段差を利用した常設展示はたいへん分かりやすい。

 なかでも圧巻は、全国の木造和船約100艘を所狭し、と並べた「船の収蔵庫」。
 足場に上がって撮った写真が、これである。

 4月の平日のことで、体験学習室は閉まっていたが、気になったのは、二つの展示室の間にある水溜。そこで思い切って受付で聞いてみた。すると回答は、海水を入れて、そこに伝馬船を浮かべ、子どもたちに櫓で漕ぐ体験をさせるーというものであった。

 なるほどそうか!ーと納得した瞬間、わたしには五〇年以上も前の記憶が蘇った。夏休みを利用して英虞湾の和具(志摩町)で過ごした折、地元の漁師さんに教えられて伝馬船の櫓を漕いだことがあったのである。いっぱいマメができていた掌が懐かしい。