4月第一週の週末、素晴らしい陽気の下、各地で桜が満開し、大勢の人が花見を楽しんだようです。わたしも6日(土曜日)は歴史博物館近くで、7日(日曜日)は自宅周辺で、それぞれ楽しみました。
 土曜日の花見は、いうまでもなく姫路城の桜です。若い研究仲間たちが、わたしの退任を祝って姫路に集まって一緒に昼食を取り、その後、レキハクで開催中の特別展を見学する計画を立ててくれたのです。「若い」と言ってもわたしに比べての意味で、社会的には立派な大人で、8歳を頭に元気な男子四人連れの夫婦もいます。
 大手前通りから姫路城内曲輪に入るところですでに人混み。大手門を抜けると、視野が広がり、満開の桜が裾模様よろしく、白亜の大天守閣を飾っています。木々の下に敷物を敷き、宴の最中のグループも。久しぶりに見る姫路城の花見風景です。

 翌日の日曜は昼前に、自宅近くを流れる水無瀬川沿いの桜見物へ。川下の堤の一画に並ぶ車の列に加わって眺めていると、青い空の下、両岸に立ち並ぶ満開の桜が視野に飛び込んでいます。姫路城では、天守閣が主役で、桜はどうしても脇役ですが、ここでは桜が主役で、川と空が脇役。主客の関係が、これほど違うことにあらためて驚きです。脇役も主役も務めることが出来るのが、千両役者としての桜の素晴らしいところでしょうか。

 そんな桜を見ることなく3日、友人が亡くなりました。享年71歳、肝臓ガンでした。喪主の弟さんによれば、昨年秋に見舞った折、「来年の桜を見ることはできないだろうな」と話していたとのこと。最愛の夫人に先立たれた3か月後の旅立ちでした。人柄そのものの穏やかな遺影が、目に焼き付いています。
 「来年の桜」というフレーズは12年も前に一度、親友から聞いていました。舌ガンと闘っていた彼の夫人の一言でしたが、幸い彼女は、ホスピスの庭に咲く見事な桜を眺めて、5月に亡くなられました。享年60歳でした。

そこで思い出すのが芭蕉の句――「さまざまのこと思い出す桜かな」。こんな平明な句を俳句の聖人芭蕉が詠んでいたかと驚きますが、まさに桜は長い間、人の人生に寄り添って、様々な思い出に立ち会っているのでしょうか。

 そうした友人の急逝直後に、二つの場所で満開の桜を見たという印象が、この小文を書かせています。しかし、本当の主題は異なります。3月末に退任する、という約束を反故にして、もう一年、館長職を勤めることになったことをお伝えするのが本旨です。その止むを得ない事情については触れません。当の本人の気持ちの整理もまだついていませんが、月日は待ってくれません。
あらためて心身の健康に留意して、レキハク館長を務めます。

 皆様には、よろしくお願い申し上げます。