7月に続けて8月も舞台は高知です。しかし取り上げる主題は変わります、海洋堂に。

 15日に開館40周年記念特別展第2弾として「海洋堂と博物館」が始まりました。兵庫県が昨年より始めたプレミアム芸術デーに合わせ、観覧料無料日としてスタートしました。それと海洋堂人気が相乗し、初日から大勢の観覧者、とくに親子連れが楽しまれていました。

 その日に恒例の館長対談コーナーがあり、同社専務の宮脇修一氏と話す機会がありました。「どこでも1.5倍速で話す」という氏の講演は止まるところを知らず、次々と話題が身体から湧いてくる・・・という感じですが、オタクを自任するご自身の人生が、文字通り海洋堂の(まもなく)60年と重なるのですから、それもむべなるかな。

 海洋堂との連携は、平成22(2010)年の展示「フィギュアの系譜」に始まりますが、その後、「美似」「ふしぎジオラマミュージアム」そして「海洋堂と博物館」と続く3回の展示は、いずれもわたしの館長任期の間です。したがって宮脇修一氏とは一度ならず、2度3度と会っていることになります。

 話の中でわたしの関心の第一は、同社が、さまざまなフィギュアの制作者を「造形師」として位置付けておられることです。その中にはすでに、文化庁長官表彰を受けておられる造形師もおられるということですから、海洋堂の活躍は、新しいアーティストを作り出したことになります。それは江戸時代の後期に、それまでの摺師や彫師が、歌麿らの活躍で浮世絵師という名のアーティストに変わったことを想起させます。

 海洋堂の場合、「無いものは自分で作ればいい」という独創性に対する絶大な信念があるように思えます。

 この言葉は、創設者宮脇修氏自身の言葉でもありますが、氏の姿勢もまた、わたしの大きな関心を抱く理由です。そこには、氏を含めた宮脇家のルーツである土佐・高知への深い思いを感じさせます。

 坂本龍馬という存在は、目の前に広がる太平洋抜きに考えられないことは、名勝桂浜に立つ龍馬像が物語っていますが、海洋堂という広々とした名前も、創業者宮脇修氏の大海原への思いが込められています。

 しかし宮脇修一氏の思いは山の中にもあります。その現われは、大阪府下守口市で創業し、食玩メーカーとして成功を収めた父親修氏が建てた海洋堂ホビー館とかっぱ館に示されています。

 ホビー館は平成23(2011)年、かっぱ館は翌24年の開館ですが、その地を確かめたく2014年8月、四万十町打井川に行きました。隣町中土佐町久礼に住む友人を訪ねた際、彼女の運転で向かってもらったのです。

 四国カルストの山麓に源を発した四万十川はS字形に蛇行して、土佐中村で土佐湾に注ぎますが、Sの中心部にJR予土線打井川駅があります。四万十川に沿って国道381号(旧土佐街道)が走っており、途中、川に架かる沈下橋が見えてきます。

写真1 四万十川の清流
写真2 沈下橋

 そして打井川駅から県道55号を登っていくと、かっぱ館、そしてホビー館が目の前に現れます。「父親が誰も来ないような場所に作った」とは息子修一氏の弁ですが、ホビー館は、廃校になった四万十町立打井川小学校を改修して作られたものでした。

 小学校を囲む山と川の絶景に対し、小学校内のフィギュアの様々な形と色(展示されるフィギュアの数は約8000点)、まさに異世界に迷い込んだ感覚です。その日、存分に楽しんだことを白状しておきます。

写真3 ホビー館四万十全景
写真4 ホビー館内部の展示品 

 2つの博物館は近くの馬之助神社と合わせて複合施設として構想されていますが、その理由は、その神社は修氏の父親(指物師で宮司を兼ねる)が友人とともに創建されたからということです。そこまで足を延ばすことはできませんでしたが、フィギュアという最新の芸術作品の原点に、四国の地が持つ民俗的世界があるという事実は、歴史研究者としてのわたしを刺激します。海洋堂と出会うことで、もうひとつの高知を知ったように思います。

 ちなみに両館の館長は現在も、御年95歳の父親修氏が勤められているとのことです。長寿万歳!!