「さがわ」と濁らず、「さかわ」と清音で読む。朝ドラ「らんまん」の主人公、日本人初の植物学者牧野富太郎生誕の地として知られるが、歴史的に言えば、土佐藩山内家(入国時20万石)の筆頭家老深尾氏(1万石)が治める城下町。上町地区には、道に沿って土佐を代表する銘酒司牡丹の酒蔵が建ち並び、近くには国の重要文化財である造酒竹村家住宅(黒金屋)がある。
 昨年7月、久しぶりに訪れたが、酒蔵の道と命名された通りには、移築された佐川尋常小学校校舎(藩校名教館を引き継ぐ)と佐川文庫庫舎が並び、「らんまん」の放映を機に、観光客を迎えるぞ!という期待感が窺えた。移築が平成21年や23年であることから、朝ドラでの放映を期待してこの間、地元挙げて城下の整備が進められてきたのだろう。果して放映中のいま、観光客で賑わっているのだろうか。

司牡丹の酒蔵

 わたしが最初に、佐川に足を踏み入れたのは20年以上も前のこと。JR佐川駅から歩いて、静かなこの町に入った。目的の地は酒蔵に沿って深尾家の菩提寺青源寺に向かう坂の途中にある町立の博物館青山文庫。「せいざん」文庫と読み、幕末土佐の勤王党のメンバーで、のち宮内大臣を務めた田中光顕(1843~1939)の号青山に因んでいる。明治末年に佐川郵便局長川田豊太郎が創設した私設図書館が、田中光顕の支援と寄贈を受けて発展し、1992年町立となった。深尾家関係資料や中岡慎太郎や武市半平太・坂本龍馬らの書状などを収める。1997年に発刊された『青山文庫図録』第2集に、わたしのお目当てのモノが載っていたことから実地探訪となった。
 それは、岩倉具視を団長とする欧米使節団に理事官として随行した田中が、現地で買い求めた銅版画集で、なかでも1815年のワーテルロー合戦の遺跡を描いた版画である。ナイルブルーの表紙に12葉の版画が収められている。ちょうどその頃、ベルギーの友人たちと「岩倉使節団とベルギー」というテーマで共同研究を進めていたのである。

 その報告書は2002年に出ているが、さらに遅れて2016年、日本・ベルギー間の修好通商条約締結150年を記念して大著JAPAN&BELGIUMが出版された。そこにはわたしが青山文庫で撮影した版画集と論文が英文で収められているが、世界的なコロナ禍で長らく文庫に献本することができなかったのである。
その使命を昨夏、漸く果たしたわけだが、帰途に牧野博士生家跡を訪れて驚いた。生家跡に、ビジターセンターとも言うべき牧野富太郎ふるさと館が建っていた。大正時代の写真をもとに復元された、と説明にあるが、そこには新聞紙に挟まれた植物標本は並んでいなかった。かつてどこかでそれを見て感動したので、もしやと期待したのだが・・・

上町周辺マップ