新装なった館長室には、二種類のカレンダーがある。一つは卓上カレンダーで、毎年、大塚オーミ陶業株式会社から頂くもの。鳴門市にある大塚美術館の陶板、正式には美術陶板と呼ばれ、西洋の名画が描かれ、月めくりで、極彩色の名画が楽しめる。今月は、好きなシャガールである。

 いま一つはロッカーに掛けている月めくりのカレンダーで、書道グループ青潮副会長の糸見溪南氏から頂いたもの。昨年から飾っているが、こちらは墨一色。今月は、溪南先生の書「和気平安」が大書されている。これもいい言葉だが、昨年の「寒花晩節」は殊の外、わたしの気に入りである。

 というのもそれが、第39回青潮会の展示会に出品されたのを直に目にしていたからである。2017年、したがって6年前のことだが、縦2メートル80㎝、横2メートル20センチという大きな作品で、その前に立つと「寒花晩節」の4文字が迫ってくる感じがした。書の傍に先生に立ってもらい写真を撮らせてもらったが、この大書、先生の身長よりも大きい。

「寒花晩節」の傍に立つ糸見先生

 揮毫に立ち会う機会を得た妻によると、先生は太い筆を右手で握り、大きな和紙の上を踊るように書かれたそうだが、最初の一画には墨が滴り落ちている。それにしても全体のバランスのよさと筆勢の力強さは、見事というほかない。さすがに大書家というに憚らない。

 この書が好きなのは、書かれた溪南先生自身を、この言葉が表現しているからである。「寒花晩節」とは「人間老いはてるまで人としての節義を全うする」の喩え、と辞書にあるが、それは91歳の先生そのものと思えるのである。まさに「書は人なり」。

 先生のように90歳を超えた先賢と10年余もの間、交友であり続けられているのは僥倖以外の何物でもない。そればかりか近年わたしは、博物館長として先賢の知遇を得る機会があり、「寒花晩節」は、さらに身近な言葉となっている。

 その花は梅か水仙か、それとも菜の花か、沈丁花か、わたしに想像できるものは少ないが、今まさに「寒花」の中にいる。