ゴールデンウィークの一日、虎屋京都のギャラリーを訪ねる機会があった。高級羊羹で有名な虎屋が併設するギャラリーである。そこで河内國平氏の刀匠50年展が開催されていたからである。関西大学の卒業生ということで、かつて館長であった関西大学博物館で特別展を開催していただいたこともあり、この度のご案内となった。

 刀剣女子が闊歩する刀剣展と違いギャラリーは静かで、ゆったりと作品を鑑賞することができた。氏の鍛えられた初期の作品から正宗賞を受賞された作品、最新の作品と通史的に選ばれた刀剣が展示されていたが、正宗賞の受賞作「春暁」には、実物と並んで刀の両面を描いた刀絵図が展示され、刀剣に拓本の世界があることを知った。

 相州伝と備前伝の双方を修行された経緯は窺っていたが、その違いは素人には分かるはずはない。しかし展示されていた相州伝の師宮入昭平氏(人間国宝)の揮毫(きごう)された一行書「鐡と火と水と」には、その奥深さが象徴されているように思えた。

 鉄と火と水は、まさに刀剣づくりの世界を象徴する三要素で、鍛刀場には、それが集約されている。そのことをかつて2013年秋、國平氏の奈良県東吉野村の鍛刀場を見学させていただいて知った。したがって鍛刀場を想起させない名刀の展示は、いかに名刀であってもわたしには興味がない。その反対に、虎屋京都ギャラリーの展示は、氏の鍛刀場、つまり刀剣づくりの世界を想起させたのである。

 その時に許されて撮影した写真の一枚を示すが、向こう槌と師匠の小槌が交差することで放つ光彩が鮮やかなのは、鍛刀場が、暗闇の世界であることを教える。それゆえに炉の中の火の温度と燃焼する鉄の温度が、刀匠には見分けられるという。

河内國平氏の鍛刀場(平成25年)

 オレンジ色の炎としかわたしたちには判断できないが、刀匠は、数百度の範囲でそれを識別し、その加減を、炭を熾すフイゴ(鞴)の風力で塩梅する。そこで刀工の前には炉、左手にフイゴ、右手に金床と焼き入れの水桶が置かれている。

 

 その様子を再度、今年の4月27日、若き刀工明珍宗裕氏の鍛刀場で見学する機会を得た。硬い皮鉄(かわがね)や軟らかい心鉄(しんがね)を練る、鍛錬という工程を何度も繰り返す場面で、そこでは電動ハンマーが活用されていた。他の鍛冶と同様、機械化が一部、採り入れられているのである。

明珍宗裕氏の鍛刀場(令和4年)

 しかし、それ以外はすべて伝統の世界。炉の中で鉄を熱する加減は、フイゴの風力とともに、フイゴの羽口(出口)のどの場所に刀身を置くかが大事だということを知った。また炭(岩手県産の松炭という)の切り方で、燃え方、熱の出方が変わるので、炭切も重要だと教えられた。キーンと金属音の心地よい炭の音も、発見であった。

 その後、刀身に刃文を描く過程も見せていただいたが、先ほどの「動」と比べると驚くほど「静」な時間であった。

刃文入れの工程

 片や刀工歴50年、片や17年と修行の年数は異なるが、目で、手で、頭で、全身で覚え、試行錯誤を繰り返すことなしには、納得のいく作品が生まれないのは共通している。見ていて、よくぞこの世界に入られた、と感心するが、その世界を、飛び切り明るい夫人が支えられていたのが印象的であった。そういえば「私は炭切り専門」と話す河内國平さんの奥さんも、素敵な方であった。

 展示室を設け、刀剣づくりの過程を広く知ってもらおうと苦心されているのも両氏に共通することで、そこには必ず玉鋼(たまはがね)が置かれていた。

たたら製鉄によって得られた貴重な鉄素材である。

玉鋼(たまはがね)

(付記)

 鍛刀場の見学を許された刀匠河内國平氏と明珍宗裕氏に心から御礼申し上げます。