2年前のこの時期から、新型コロナウイルス感染が大きな社会問題となりました。そこで生まれたのが「新しい生活様式」。マスクの着用や在宅勤務、定期的な換気の奨励などですが、いまでは「普通」になり、「新しい生活様式」も使われなくなっています。どんなに新しいものでも、2、3年して浸透すると新しさが「消える」ということを教えられ、興味深さを覚えます。
 わたしにも、新しいこととして始め、いまではフツーになっていることがあります。「清水汲み」です。ほぼ二週間に一度早朝に車で同じ町内にある水無瀬神宮に出かけ、10リットルのポリタンクと大きめのペットボトル二本、合計すると約15リットルの清水を汲んで帰るのです。もちろん、普段の飲料と炊飯・料理のために。時に先人がおり並ぶことも、一番乗りしてラッキー!と喜ぶこともありますが、環境省が選定する「日本の名水100選」に大阪府下で唯一選定されている有名な場所で、隣の京都府から来る人もいます。

清水を汲む

 水無瀬神宮は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でいずれ取り上げられる承久の乱(1221年)の中心人物、後鳥羽上皇の設けた御影堂に、配流地隠岐から神霊を迎え、明治6年(1873)、神社としたもので、昭和14年(1939)に水無瀬神宮となりました。小さいながらも境内には、クスノキなどの樹木が生い茂り、地元では「水無瀬の杜」と呼ばれています。境内に入ってすぐ、手水場の近くに蛇口が設けられ、清水が勢いよく流れ出ます。冬場は温かく、夏場は冷たく、美味しい水です。「美味しい」とされる水道水と比較になりません。ミネラル分が違うのでしょうか。水無瀬川の伏流水が水源だとされていますが、その清水には、感謝感謝の一言です。

水無瀬神宮に入る

こうした清水の恵みに気付いた背景には、阪神・淡路大震災があります。震災直後、水の確保に困難をきわめたことは生々しい記憶として残っていますが、一週間後、大阪から明石に住む友人宅に支援物資として携帯コンロと給水用の折り畳みポリバケツを一日がかりで届けに行ったのです。震災以前、友人宅を訪れる度に、調理に使う「亀の水」の話を友人の母から聞いていたからです。その水場は、柿本人麻呂を祀った人丸社の崖下にあり、訪れてみると滔々と湧き出ていました。そこで汲まれた「亀の水」が、わたしにとって最初の清水でした。それを思い出し、汲むためのポリバケツを持参したという訳です。
そういえば伏見の御香宮にも、そして酒の神と知られる松尾大社にも水汲み場があり、清水を汲む場は神社に多い印象を持ちます。双方の立地に共通性があるのでしょうか。水場にとって重要なのは水脈の存在でしょうが、霊験あらたかな神社のイメージに境内の清水はふさわしいと言えるでしょう。

松尾大社の水場

そうした日本的な水場のイメージを変えたのは、スイスの首都チューリッヒの水場です。街中に置かれた大小さまざまな水槽に、アルプスの雪解け水がコンコンと湧き出ているのです。しかし点在し、量も半端ではない水場で水を汲むのはツーリストか、あるいは散歩の犬かで、市民が汲む姿を見ることはありませんでした。同じ清水が、水道管を通って各家庭に運ばれ、水道と同じ水なら、わざわざ外で汲む必要はないのでしょう。近代的な給水システムのできる前の中世には、多くの市民や旅人が、そこで喉を潤したことでしょう。

あえて清水を汲むのは、水道の水よりも「美味しい」と私たちが身体で知っているからではないでしょうか。「便利さ」以前の体験として。
近いうちに清水を汲みに水無瀬神宮に行きます。