遠い昔、六甲山(ろっこうさん)のふもと、ちょうど現在の神戸市灘区(こうべしなだく)のあたりに、菟原(うばら)という村がありました。この村に、それは美しい娘が住んでいたということです。
顔や姿が美しいばかりでなく、娘は心もやさしく、機織(はたお)りがたいへんじょうずでした。人々はうわさを聞いて、ひと目でよいから娘を見たいものだと、訪ねてくるのでした。そうした人々の中に、二人の若者がおりました。一人は娘と同じ菟原の村に住む若者。もう一人は、海をわたった向こうの和泉国(いずみのくに)に住む若者でした。
「どうか私のおよめさんになってください。」
二人は熱心にたのみこむのでした。娘の両親も、どちらかがお婿(むこ)さんになってくれたらと思いましたが、娘の心はなかなか決まりません。二人があまりにすばらしい若者なので、どちらを選んだらいいのかわからなかったのです。迷い続けるうちに、娘はだんだんとやつれてゆきました。
一方で若者たちは、何とか娘をおよめさんにしたいと、ますますはげしく競争するようになっていました。そのようすを見ていると、このままでは刀を持ってきり合いを始めてしまいそうです。若者たちが競争すればするほど、娘の心はしずんでゆく一方でした。そしてとうとう、娘は、近くを流れる生田川に身を投げようとするまでになってしまいました。
おどろいたのは両親です。
「かわいそうに。そんなに思いつめなくてもいいよ。私たちによい考えがあるからね」
そういって娘をなぐさめた両親は、ふたりの若者を招いて言いました。
「お二人が、娘のことを思ってくださる気持ちはよくわかりました。けれどもお二人ともご立派すぎて、どちらかを選ぶことができません。そこで考えたのですが、そこに流れている生田川の水鳥を早く射止めた方に、おむこさんになってもらおうと思います。」
どちらの若者も、弓のうでまえには自信がありましたから、この話は願ってもないことでした。弓比べの日をとりきめて、二人は帰ってゆきました。
いよいよ弓比べの日です。うわさがうわさを呼んで、生田川の河原にはたくさんの人が集まりました。りりしく着かざった二人の若者は、河原へ進み出ると、合図と同時に矢をつがえて、弓をひきしぼりました。人々はかたずを飲んで見つめます。娘は手をにぎりしめ、目を閉じました。
ひゅうっと空気を切りさく矢鳴りが、聞こえました。
「わあぁっ。」
「あたった!」
「見事だ!」
口々にさけぶ人々の声に、目を開いた娘は、立ち上がって川面を見つめました。そしてどうしたのか、川に向かって歩き始めたかと思うととつぜん走り出し、流れに身をおどらせたのです。
激しい流れにのまれて、娘の姿は二度とうかび上がってきませんでした。それを見た二人の若者も、娘のあとを追うように川に身を投げてしまいました。
残された水鳥をみると、二本の矢がつきささっていました。若者たちは、弓の腕前までまったくのごかくだったのです。弓比べでもおむこさんが決まらないと知って、娘は死ぬことを選んでしまったのでした。
娘がほうむられた墓を、人々は処女塚(おとめづか)と呼びました。そして、処女塚を見守るように造られた二人の若者の墓は、東求女塚(ひがしもとめづか)、西求女塚(にしもとめづか)と呼ばれています。