はるかな昔、六甲山(ろっこうさん)のふもとに、夫婦の鹿が住んでいました。二頭の鹿は仲むつまじく暮らしていましたが、ある時、牡鹿(おじか)は淡路島(あわじしま)の野島(のじま)に出かけて、そこに住んでいた牝鹿(めじか)とすっかり仲良くなってしまいました。
それ以来、牡鹿は来る日も来る日も、海をわたって野島の牝鹿を訪れるようになりましたので、妻の牝鹿はさびしくてなりませんでした。
ある日、牡鹿は久しぶりに妻のところへやって来ました。
「実はね、昨日の夜、変な夢を見たのだよ。私の背中に雪が降り積もって、そこにススキがいくつも生えているんだ。これはいったいどういうことだろう。何かのお告げだろうか。」
妻の牝鹿は、牡鹿がいつも野島の牝鹿の所へ行くのをやめさせようと思って、ついこんなふうに言ってしまいました。
「それは、とても悪い夢ですわ。背中にススキが生えるというのは、猟師の矢がささるということです。それに雪が積もるというのは、肉を塩づけにされるというお告げです。
あなたがこれ以上野島にわたったら、きっと人間の船に出会って、射殺されてしまうにちがいありません。」
こんなふうに夢占いをしておけば、牡鹿はきっと自分のところにいてくれる。妻の牝鹿はそう思ったのでした。
牡鹿はちょっと気味悪く思ったので、しばらくの間は妻のところにいましたが、やはり野島の牝鹿のことが忘れられません。ある日とうとう妻にかくれて、野島へ出かけてしまいました。
ところが赤石(あかし)の海を泳ぎ進んで、もうすぐ野島に着くという時になって、運悪く猟師が乗った船と行き会ってしまったのです。
「おう、鹿が海を泳いでいるぞ!」
猟師はそうさけぶや、弓を構え、矢を射かけました。矢は牡鹿の背中につきささり、牝鹿の夢占いのとおり、牡鹿は射殺されてしまったのでした。
それ以来、夫婦の鹿が住んでいた野を、「夢野(ゆめの)」と呼ぶようになりました。人々は、牝鹿の夢占いが本当になってしまったのを、「夢占いというのは、良い方に占えば良いことがおこり、悪いように占えば、本当に悪いことがおこってしまうものだ。だから夢を悪く考えるものではない」と語り伝えたそうです。
牡鹿が射殺されたあたりの海は、今でも「鹿の瀬」と呼ばれています。またこの時流れた牡鹿の血が固まって、海の底に赤い石ができ、それが現在の「明石(赤石)」の地名のもとになったとも言われています。山陽電車の林崎駅(はやしざきえき)から南西一キロメートルほどの海岸から眺めると、いまでも海底の赤石が見えるということです。