佐用川(さようがわ)は、西播磨(はりま)を流れる清流、千種川(ちくさがわ)の上流にあたります。この佐用川には、いくつか不思議な伝説が残されていますが、これもそのひとつです。

その昔、佐用川に大きな洪水(こうずい)がおきました。あたり一面にあふれた水が、ごうごうと流れているとき、川上から大きな壺(つぼ)が流れてきて、ある川岸にとまりました。集まってきた里の人たちが不思議に思い、おそるおそるふたをあけてみますと、中から五、六歳ほどの男の子が出てきたのでした。

人々はおどろきながらも、男の子を里へ連れ帰りました。そして「流れ子」と名付けて、たいそうかわいがって育てたのです。

流れ子はたいへんかしこい子に育ちました。里の人たちと一緒になって、毎日かいがいしく働きます。それだけでなく、自分が乗ってきた壺で酒を造りましたが、それは、どんな病気の人でも一口飲めばたちまち治ってしまうという、不思議な酒でした。

流れ子のおかげで、村は豊かになり、たいそう栄えました。これはすべて、流れ子と壺のおかげだというので、人々は、村の名を「おおつぼ」と呼ぶことにしました。

そんなある年の水無月(みなづき)のころ、どこからともなく柿色(かきいろ)の着物を着た老人が、流れ子の家にやってきました。流れ子と老人は、昔から知っていた友達のように、大きな壺から酒をくみ、歌ったりおどったりしてにぎやかに一日を過ごしました。

ところがその日の夕方、とつぜん、雲がわきあがり、激しい嵐になりました。空は荒れくるい、山が大きな音をたててくずれ、村人たちは、息を殺して嵐が去るのを待ちました。やがて嵐が去ってみると、流れ子の家は、天にまい上がったのか、地中にうまったのか、あと形もなくなっていたのでした。

こうして、流れ子の家も、大きな壺もなくなり、今では「おおつぼ(大坪)」という地名だけがのこっているということです。そしてそれ以来、大坪の人たちは柿色の着物をきらうようになったそうです。