丹波(たんば)には、法道仙人(ほうどうせんにん)のこんな話が伝わっています。

今から1200年ほど昔の話、法道仙人というえらいお坊さんが、仏教を広めるためにあちこちを旅していました。丹波国の、市島の梶原にやって来たときの話です。

仙人がお祈りをしていると、ひとりの童子が白い玉をもってあらわれました。
「私は、ここに住んでいますが、この玉を授ける者を待っていました。今日、やっとその方に会えて、こんなにうれしいことはありません。どうかこの玉を、ここにうめてください。」
そういうと、童子は、西の方へ消えてゆきました。

法道仙人は「これは、鴨(かも)の大神のお告げにちがいない」と、さっそく村人を集めて、今の出来事を話し、お経を唱えながら玉をうめました。
「ここは、鴨の大神がおられるところにちがいありません。どうかこの地をいつまでもお守りしてください。」
法道仙人は、そんなふうにたのむと、また、教えを広める旅に出てゆきました。

その後、玉をうめた場所からは、イチョウの木が芽を出し、幹のなかほどから、太い根をのばしてどんどん育ってゆきました。村人たちは、仙人の教え通り、この木を大切に守り育てたということです。

それから700年も後、丹波の黒井城(くろいじょう)が明智光秀(あけちみつひで)に攻め落とされたときのことです。
黒井城の家老、荻野丹後(おぎのたんご)は、奥方と生まれたばかりの赤ん坊を連れて、落ち延びました。しかし、奥方は乳の出が少なくなり、赤ん坊は日に日に弱ってゆきました。
「家来を戦いで死なせ、我が子までなくしては、何のために生きているのかわからない。」
荻野丹後は、近くの酒梨(さかなし)のお地蔵様に、一心にいのりました。
おいのりを始めて21日目の夜、夢にお地蔵様が現れてこう言いました。
「私のそばにあるイチョウは、梶原の大イチョウと兄弟だ。根をけずって湯で温めて飲めば、乳がよく出るようになるだろう。」

荻野丹後は、さっそくお地蔵様のそばにあったイチョウの根をけずり、奥方に飲ませました。するとお地蔵様のお告げ通り、奥方は乳がたくさん出るようになり、赤ん坊も元気に育ったということです。このうわさを聞いて、大勢の人がお参りし、イチョウの根をけずってゆくようになりました。

酒梨のイチョウも、梶原の大イチョウも、村の人たちに守られて、現在も青々とした葉をしげらせています。