法道仙人(ほうどうせんにん)は、インドの人です。修行を積んで徳の高い仙人となり、お釈迦様(おしゃかさま)が法華経(ほけきょう)を説いた、霊鷲山(りょうじゅせん)という尊い山で暮らしていましたが、あるとき、雲に乗ってはるばる日本までやってきたそうです。
法道仙人が雲の上からながめておりますと、はるか下の方に八つに分かれた尾根(おね)と、谷間から五色の光がさす山が見えます。これは仏様の霊地(れいち)にちがいないと考えた仙人は、この山に住んで、法華経を読む日を過ごすようになりました。これが、法華山一乗寺(ほっけさんいちじょうじ)のはじまりだということです。

法道仙人は不思議な術が使えました。空っぽの鉢(はち)を、自由自在に飛ばすことができるのです。仙人は、いつも山に座ってお経を読みながら、鉢を飛ばして人々にお供え物を入れてもらうのでした。

仙人の鉢がやってくると、人々はわれ先にいろいろなお供え物を鉢に入れます。すると鉢はすうっと空を飛んで、仙人の元へと帰ってゆくのでした。高砂(たかさご)の生石神社(おうしこじんじゃ)の大神も、その鉢を招いては石の上に置き、お供え物をささげたといいます。
こうして仙人は、多くの人からしたわれ、仏の教えを広めてゆきました。

あるとき――それは大化(たいか)元年のことだったといいます――、瀬戸内(せとうち)の海を航海していた一そうの船に、仙人の鉢が飛んできました。けれどもこの船に積んであった米は、税として集められた米だったのです。
「これは、税として都へもってゆく米なのです。私が勝手に、差し上げるわけにはゆきません。」
藤井という名の船頭がそう言うと、鉢は空っぽのまま飛び去ってゆきました。ところが、その鉢に続くように、船に積んである米俵が、次々と飛んでゆくではありませんか。船頭はびっくりして、必死にあとを追いかけました。

鉢と米俵は、まるで雁(かり)の群れのように空を飛んで、法華山までやってきました。あとを追いかけてきた船頭は、息を切らせて法道仙人の庵(いおり)にかけつけると、わけを話して、米俵を返してくれるようにたのみました。
法道仙人は笑って許し、もう一度米俵を飛ばして船に戻してやりました。ところがこのとき、どうしたわけか一俵だけが途中で落ちてしまいました。米俵が堕(お)ちたというので、そこは「米堕村(よねだむら)」と呼ばれるようになったそうです。

大化5(649)年、都の孝徳天皇(こうとくてんのう)が病気になったとき、天皇はこの不思議な話を思い出して、ぜひともこの病を治してもらいたいと考えました。都へ呼ばれた法道仙人は、みごとに天皇の病気を治してみせました。そしてその力におどろく朝廷(ちょうてい)の人々に、仏の尊さを説いたのでした。

すっかり感心した天皇は、法道仙人のために、法華山に大きなお寺を建てました。これが現在の法華山一乗寺のはじまりです。その後も長い間、法道仙人は法華山で仏法を説き続けましたが、あるとき雲に乗って、ひょうぜんとインドへ帰っていったということです。