丹波(たんば)のしずかな山里のお話です。

和泉式部(いずみしきぶ)という有名な歌人が、旅のとちゅうでこの村に立ち寄りました。京の都から、役人として丹後国(たんごのくに)にいた、夫の元へ行くところでした。
ちょうどその時、ひどい嵐がやってきました。何日も大雨が降り続いて、川はあふれ、村にあった橋はみんな流されて、和泉式部は村から出ることができなくなってしまいました。困りましたがどうすることもできません。そのころは、ひとつの橋をかけるにも、何年もかかったのです。
親切な村の人たちは、式部に家を貸してくれました。それだけでなく、畑でとれた野菜やら、山でとれたいのししの肉やら、お米やら、かわるがわる食べ物も持ってきてくれました。それで、式部はなにひとつ不自由なく、安心して過ごすことができました。

日がたつにつれて、式部にも村のようすがわかってきました。もともと小さな山の村です。ただでさえ十分でない田畑が大雨で荒れて、作物も思うようにできなくなっていました。それでも村人たちは、自分の食べる分を減らして、式部に持ってきてくれていたのです。

何とかして村を豊かにできないものか。式部は考えました。そして、村人を集めると、こんなふうに話しました。
「桑(くわ)の木を植えてみませんか。蚕(かいこ)を育てて、絹糸を作るのです。」

村の人たちは、これまで蚕など見たこともありません。
「わしらにできるんやろか。」
「お金がもうかるんやろか。」
「糸なんか、どないしてつくったらええんやろ。」
みんなが口々に話していると、村でいちばんの年寄りがこんなふうに言いました。
「初めてのことやけど、式部さんが言わはるんやからまちがいないやろ。みんなで力合わせて、頑張ろうやないか。」

次の日から、大人も子どもも力を合わせて山を開き、桑の木を植えてゆきました。三年がすぎるころ、山には立派な桑畑ができ、どの家も蚕を飼うようになっていました。村人たちはみんな、一生懸命に働いたので、繭(まゆ)もたくさんとれるようになってきました。

「うそみたいやのう。」
「みんなでよう頑張ったおかげや。」
「式部さんのおかげや。」
村の人たちは、暮らしが豊かになることを夢に見ながら、喜び合いました。繭からつむいだ糸で、きれいな布を織ることも覚えました。

やがてあの大雨で流された橋もできあがり、式部が丹後へ旅立つ日をむかえました。

桑原の里に引くまゆ拾い置きて君が八千代の衣糸にせん

こんな歌を残し、なごりをおしみながら、式部は村を去ってゆきました。

それからもみんなが力を合わせたおかげで、桑畑はよくしげりましたので、だれ言うとなく、この村は桑原と呼ばれるようになりました。

今でも桑原村のまんなかには、式部をしのぶ供養塔(くようとう)があって、村の人たちがいつもきれいな花をおそなえしています。