『風土記』とは
『風土記』と書いて「ふどき」と読みますが、『風土記』という一冊の本があるわけではありません。
今から約1300年前の奈良時代、和銅6年(713)5月、朝廷は諸国国司らに、
①国内地名表記の好字化
②国内の動植物や鉱物資源
③土地の肥沃度
④地名とその地名起源説話
⑤古老の伝承
などの調査、報告を義務づけました。これを受けて各国で作成された行政報告書を、一般に『風土記(ふどき)』と呼んでいるだけです。『風土記』という言葉が初めて登場するのは、平安時代の10世紀になってからです。兵庫県内の旧五国(資料8)のうち、唯一まとまった形で史料が残るのは、播磨国の分だけです。
奈良時代に書かれた『播磨国風土記』の原本は存在せず、京都の公家、三条西家(さんじょうにしけ)に伝えられてきた写本を唯一の史料とします。幕末以降、その存在が初めて世に知られるようになりました。書風などから、平安時代後期に筆録されたと考えられています。
現在は天理大学附属天理図書館に所蔵され、国宝に指定されています。幕末から明治時代にかけて、三条西家の史料が、多くの人びとによって筆写されていきました。兵庫県立歴史博物館は、安政3年(1856)に写された史料(資料2)、および天理大学附属天理図書館所蔵の史料のレプリカを所蔵しています。
『播磨国風土記』には、約12,000字の文字が載せられ、すべて漢字で句読点もなく書かれています。もっとも多い情報は、上述の④「地名とその地名起源説話」で、地名の数は360例以上(資料3)に及びます。そのなかには『古事記』や『日本書紀』の神話のなかに見られない、播磨独自のローカルな神々の話もみられ、当時の人びとの信仰や生活習俗などを知ることができます。