たたら製鉄の技術と歴史
たたら製鉄は、粘土でつくった細長い炉のなかに、原料である砂鉄(さてつ)を入れ、木炭を用いて高温の状態を維持しながら燃やして鉄のかたまりを取り出すもので、日本独自の製鉄技術と言われます。
たたら(鑪)とは、鉄をつくる炉を高温で燃やし続けるため、炉の中へ空気を送り込む足踏み式の装置です。
江戸時代に出版された『日本山海名物図会』という本のなかには、製鉄に従事する6人の男たちが、たたらを踏む様子が描かれています。
日本各地の産物の生産に関わる技術などを解説した本で、全5巻からなる。そのうちの1巻は各地の鉱山が紹介されており、たたら製鉄に関する記述も見られる。
著者の平瀬徹斎(ひらせ・てっさい)は、宍粟で製鉄業を営んだ千草屋(ちくさや)平瀬家の大坂分家の系統であると考えられている。
たたら製鉄の技術は古代から明治時代にかけて行われ、木炭を取るために必要な山林資源が豊富な中国山地は、日本列島のなかでも大きな製鉄地帯でした。
そして中国山地の東の端に位置する、現在の兵庫県宍粟市・佐用町周辺でもたたら製鉄が行われました。
奈良時代のはじめ、715年(霊亀元)ごろにできたとされる『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)には、讃容郡(さよのこおり。佐用郡)と宍禾郡(しさわのこおり。宍粟郡)での鉄の生産に関する記事があります。
このほか、宍粟郡の古代遺跡の調査によって、奈良時代のはじめには、この地域で鉄の生産が始まっていたと考えられます。
そして中世においては、宍粟郡でつくられた鉄は、刀剣の原料として「宍粟鉄」や「千草鉄」と呼ばれ広く知られていました。
江戸時代になると、幕府が直轄する山林において、地元の商人がたたら製鉄の操業を行っていたことが古文書からわかります。
このように宍粟郡や佐用郡など播磨北西部でたたら製鉄が歴史的に行われてきた背景には、良質な砂鉄が取れ、燃料である木炭のもととなる広大な山林資源がありました。