「淡路名所図会」って?

「虫食い」に注目!元々の形はどうだった?

現在の「淡路名所図会」は、5帖にまとめられていますが、これは後の時代に行われたものです。編集時に鳥の子紙による裏打ちと、天地の裁断(図1)がなされていることから、かつては異なる体裁をとっていたことがうかがえます。

図1 「広田宮村 八幡社」(現・南あわじ市)の天部(上)と「市原村 松栄寺」(現・洲本市)の地部(下) 編集時に裁断されたことで、文字の上下が切れている。

では、もとは一体どのような形状だったのでしょうか?その手がかりの1つとなるのが、「虫食い」です。
資料には、紙を好む虫たちによって、直径1㎜程度の丸い穴が開けられています。博物館ではこうした「虫食い」を行う虫のことを「文化財害虫」と呼んで、虫害の起こらないように細心の注意を払っていますが、今回はこの「虫食い」の痕跡が元の形状を復元する手がかりとなります。

図2は「難波村薬師堂」の「虫食い」箇所を青色でトレースしたものです。これをみると、絵図の随所に虫食いの穴がみられ、それが折り線(赤色で明示)で線対称となっていることが分かります。こうした痕跡から考えると、本絵図が元々八つ折りの畳み物であったといえるのです。

図2 「難波村薬師堂」(現・南あわじ市)の虫食い(青色)と折り線(赤色) ※福永朋子氏作成

さらに、各絵図のタイトルが記入されている題簽(だいせん)部分も注目できます。図3のように、題簽の一部は破損によって何が書いてあったのか分からない状態となっています。しかし、今回の調査によって、題簽が読めなくなっている絵図の裏側には、図4のような灰色の題簽が貼り付けられていることが判明しました。
こうした視点で、ほかの画面の題簽箇所を見ると、何かを剥がしたように本紙の繊維がみえる絵図や(図5)、裏側に表紙の一部が残されている場合(図6)もみられることが分かりました。
以上の点から、本資料はもともと一鋪ずつ表紙のついた畳み物であったこと、それが後世になって表紙がはがされ、周囲を裁断して5帖の折本「淡路名所図会」に改められたと考えられるのです。
なお、徳島藩主蜂須賀家の文庫である「阿波国文庫」には、「淡路名所図会」に収められる絵図とよく似た絵図が畳み物の状態で収められています。

図3 「志筑[□□□ □(中田村万)]福寺」 表面の題簽
図4 「志筑荘中田村万福寺」(現・南あわじ市) 裏面に貼られた題簽
図5 「(遠田村)山王滝」(現・淡路市) 本紙の裏側から何かを剥がしたような痕跡がみられる。
図6 「白山村 妙理権現」(現・淡路市) 本紙の裏側に表紙の一部が残る。

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