「淡路名所図会」って?

「淡路名所図会」の基本情報

1資料名

「淡路名所図会」は、江戸時代の淡路国二郡(津名郡・三原郡)にあった寺社、城跡、名所等377項目を詳細に描いた肉筆の絵図集です(→トピック1)
現在は全5帖にまとめられ、各表紙に「淡路名処図会 五冊之内」と記された題簽(だいせん)が貼り付けられています(図1)。
また、本絵図集は桐製の外箱に納められていますが、箱上部に「春朝斎筆淡路名所図会」と記載されていることなどから、当館では資料名を「淡路名所図会」としています。

図1 「淡路名所図会」表紙

2作者と年代

「淡路名所図会」内に序文や末尾に書かれる跋文(ばつぶん)がみられないことから、本絵図集の作者や編者は現段階では不明です(→トピック3)

図2~3 「伊弉諾神社」(現・淡路市)と「(由良湊)」(現・洲本市) 「伊弉諾神社」には題簽が枠書きされ、そこに「天明八申年九月改」とあります。一方、由良湊右上には、題簽の枠書およびタイトルが記されておらず、ほかの絵図と異なる体裁をとっています。由良湊の右下には「正徳三年改」とあります。

本絵図集の作成年代について、大まかには江戸時代後期とみてよいでしょう。ただし、本絵図集は編さんによって5帖にまとめられていますが、元々は1点ずつ別個の資料であったとみられることから、正確な作成年代は1点ずつ異なります。
例えば、「由良(ゆら)湊」には「正徳三年改」(1713)とある一方、広石下村の「彊寺」(堺寺(さかいでら))裏面には、「文化四卯年八月廿三日再見」(1807)とあり、その間に約100年もの差がみられます(図2~3)。
「由良湊」の絵図は他の絵図と画風が異なり、多くの絵図と異なる人物によって作成された可能性も考えられます。
年紀のある絵図の多くは天明~寛政期頃(1781~1801)であることから、本絵図の大半は18世紀後半から19世紀前半にかけて作成され、のちに帖の形に再編されたとみられます (→トピック2)

3帖の順番について

それぞれの帖には巻数が記されていないため、資料受け入れ時に木箱に入れられた順に上から第1帖とし、最下段を第5帖と数えていました。
しかし、兵庫県と徳島県が合同で実施した「『鳴門の渦潮』調査研究プロジェクト」の際に改めて内容を検討したところ、次の通り並べ直す方が適切と思われたため、本ページではその成果を踏まえて、表のとおり新たな順番にてご紹介します。

内容順(新) 取り上げ順(旧) 内容
第1帖 第4帖 津名郡「下物部村亀谷庵」~津名郡「岩屋開鏡山観音寺」、92項目
第2帖 第5帖 津名郡「育波村古城」~津名郡「入野村古城」、87項目
第3帖 第3帖 津名郡「都志本村浄土寺」~津名郡「栢野村薬師堂」、三原郡「上賀茂神社」~大野村白鬚明神社」、67項目
第4帖 第2帖 三原郡「委文荘庄田村八幡社」~三原郡「円行寺伽藍廃蹟」、72項目
第5帖 第1帖 三原郡「国衙村久度神社」~三原郡「土生、地野、仁頃方図」、59項目

4来歴

「淡路名所図会」は、元々淡路ゆかりの南画家・直原玉青(じきはらぎょくせい)氏(1904~2005)が所蔵されていましたが、それ以前の持ち主等の情報はよくわかっていません。直原氏の手に渡ったのち、戦中の段階で一時的に「橿原文庫」(奈良県)の所蔵となったことが各巻に捺された蔵書印(「橿原文庫」、「昭和十九年 寄贈 直原放青氏」)から知ることができます。
その後、本資料は直原氏から兵庫県に寄贈され、管理替えによって当館(当時は県立博物館設立準備室)の所蔵となりました。

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