播磨国龍野藩主脇坂家(5万3,000石のち5万1,000石)の家臣等の身分や家柄・地位などに応じた儀式・勤務における規定、藩への諸届けの規定や書式などについて藩から出された通達を写したものである。寛政9年(1797)閏7月22日付けのものが、年代としては最も新しい。家臣には、家老・城代・年寄など500石前後から1,000石以上の禄高を有する者から3人扶持といった小禄の者までがおり、禄高に応じた役職が概ね定まっていた。年始の礼、藩主への御目見などでは、身分により規定が異なり、またその子どもについても嫡子と、二、三男では様々な点で異なっていたことがわかる。跡目相続・結婚・養子縁組・隠居などについての規定や願書の書式などが示されているほか、五節句・八朔などの儀式での作法、病気や火災時の諸届けなど事細かに規定されており、藩の家臣統制の有り様を知ることができる資料である。
資料解説
播磨国龍野藩主脇坂家(5万3,000石のち5万1,000石)の家臣等の身分や家柄・地位などに応じた儀式・勤務における規定、藩への諸届けの規定や書式などについて藩から出された通達を写したものである。寛政9年(1797)閏7月22日付けのものが、年代としては最も新しい。家臣には、家老・城代・年寄など500石前後から1,000石以上の禄高を有する者から3人扶持といった小禄の者までがおり、禄高に応じた役職が概ね定まっていた。年始の礼、藩主への御目見などでは、身分により規定が異なり、またその子どもについても嫡子と、二、三男では様々な点で異なっていたことがわかる。跡目相続・結婚・養子縁組・隠居などについての規定や願書の書式などが示されているほか、五節句・八朔などの儀式での作法、病気や火災時の諸届けなど事細かに規定されており、藩の家臣統制の有り様を知ることができる資料である。