「法橋幽汀筆」の款、「守直」(朱文方印)より石田幽汀(ゆうてい)(1721~86)の作だと分かる。幽汀の名は守直。明石の橘家に生まれ、後に京都町年寄の石田半右衛門の養子となった。絵は鶴沢探鯨(たんげい)に師事した。『画工任法橋法眼年月留』によれば、宝暦7年(1757)までに法橋、安永6年(1777)までには法眼に叙せられたようだ。円山応挙の最初の師としてよく知られている。本作品は金地を背景に右から左に四季風俗を描いている。幽汀が法橋時代に描いた作品としては他に「群鶴図」(静岡県立美術館)、「四季花卉図屏風」(三時知恩寺)、「養老瀧図」などが知られている。また、静岡県立美術館の「群鶴図」では本作品と同印が捺されている。
資料解説
「法橋幽汀筆」の款、「守直」(朱文方印)より石田幽汀(ゆうてい)(1721~86)の作だと分かる。幽汀の名は守直。明石の橘家に生まれ、後に京都町年寄の石田半右衛門の養子となった。絵は鶴沢探鯨(たんげい)に師事した。『画工任法橋法眼年月留』によれば、宝暦7年(1757)までに法橋、安永6年(1777)までには法眼に叙せられたようだ。円山応挙の最初の師としてよく知られている。本作品は金地を背景に右から左に四季風俗を描いている。幽汀が法橋時代に描いた作品としては他に「群鶴図」(静岡県立美術館)、「四季花卉図屏風」(三時知恩寺)、「養老瀧図」などが知られている。また、静岡県立美術館の「群鶴図」では本作品と同印が捺されている。