瓦が建材に使用されるのは、古代の寺院・役所に始まり、大陸の建築文化を直輸入した特別な建造物の屋根を飾った。織田信長の安土築城の際には、瓦が新機軸の城郭建築に欠かせない建材として再び脚光をあび、鬼瓦や軒瓦に城主の家紋を入れ、主棟に鯱(しゃち)瓦をあげる以後の様式を定着させた。この鬼瓦は関ヶ原の戦い後、播磨一国を領し姫路城を居城とした池田輝政の改修時に製作されたものと考えられ、池田氏の家紋の揚羽蝶が瓦面中央へ大胆に施されている。頭を下にして羽を扇状に広げた蝶は、S字の口器や折れ曲がった2本の触覚も備え付け、20余りのヒダを有した羽には丸型の模様が1つずつ丹念に押されるなど、力強い印章のうちにも丁寧な細工のほどが見て取れる。旧来の鬼面から城主の家紋へ、建築に対する人間の意識が近世城郭の登場を介して大きく変化していくのである。
資料解説
瓦が建材に使用されるのは、古代の寺院・役所に始まり、大陸の建築文化を直輸入した特別な建造物の屋根を飾った。織田信長の安土築城の際には、瓦が新機軸の城郭建築に欠かせない建材として再び脚光をあび、鬼瓦や軒瓦に城主の家紋を入れ、主棟に鯱(しゃち)瓦をあげる以後の様式を定着させた。この鬼瓦は関ヶ原の戦い後、播磨一国を領し姫路城を居城とした池田輝政の改修時に製作されたものと考えられ、池田氏の家紋の揚羽蝶が瓦面中央へ大胆に施されている。頭を下にして羽を扇状に広げた蝶は、S字の口器や折れ曲がった2本の触覚も備え付け、20余りのヒダを有した羽には丸型の模様が1つずつ丹念に押されるなど、力強い印章のうちにも丁寧な細工のほどが見て取れる。旧来の鬼面から城主の家紋へ、建築に対する人間の意識が近世城郭の登場を介して大きく変化していくのである。