資料名

源平合戦図屏風(小坪・衣笠城) げんぺいかっせんずびょうぶ(こつぼ・きぬがさじょう)

資料解説

治承・寿永の内乱の初期、伊豆(静岡県)で挙兵した頼朝が石橋山の戦い(治承4年〔1180〕8月)で敗れた後、その援軍に向かっていた相模(神奈川県)の三浦一族と、この段階では平家方についていた武蔵(埼玉県)の畠山重忠率いる軍勢とが戦った合戦を描いた屏風である。数ある源平合戦図屏風のなかでも、東国の合戦を描く作例は珍しい。
描写は『源平盛衰記』(以下『盛衰記』)に基づく。『盛衰記』は『平家物語』の一種であるが、読み本系と呼ばれるバージョンに属する。全12巻を基本とする語り本系に比べて分量がかなり多く、全48巻と『平家物語』諸本の中では最大となる。一般的な『平家物語』では、この戦いは記述が簡略化されている。
画面は中央の山並みと金雲で大きく上段と下段に分かれ、下段には鎌倉由比ヶ浜の東端にあたる小坪(こつぼ)坂(逗子市)付近での三浦勢と畠山勢との合戦、上段には三浦氏の本拠衣笠城(横須賀市)での戦いを描く。小坪合戦の場面では、畠山方綴(都筑)太郎・五郎の兄弟、さらに太郎の子小太郎の三人を次々と討ち取る三浦方和田義茂の姿が異時同図で描かれる。
上段の衣笠城には、中央に出陣しようとして嫡男の義澄に引き止められる揉(もみ)烏帽子・白い直垂姿の三浦大介(おおすけ)義明が描かれている。義明はこの後衣笠城で討死する。源頼朝の天下草創の物語を彩る重要人物の一人である。
また、第五扇には衣笠城で敗れて安房(千葉県南部)へ逃れた三浦一族と、真鶴岬(神奈川県真鶴町)から安房へ向かった頼朝とが海上で再会する場面も描かれている。『盛衰記』では、当初相手が誰か分からない段階で警戒した頼朝は船底の柴の下に隠れた。やがて出会った三浦一族が頼朝の行方を案じて涙を流すと、頼朝は船底から這い出て再会がなったとされている。本作でも、立烏帽子姿の頼朝が柴の下から顔を出す姿で描かれている。なお、この場面は、本紙の上の貼紙上に描かれている。
これらの場面も含めて、本作は全体に『盛衰記』の本文と細部までよく合致する描写が多い。本作の場合は、ほかに類例の少ない画題であったため、制作の際に典拠テキストに依拠する比重が高くなったものと考えておきたい。
また、本作の注文主については、三浦一族が主題となる絵であることから、紀州藩徳川家家老の三浦氏など、三浦一族の末裔の中に比定する説が示されている。
本作の土坡や岩には皴(しゅん)がさほど入らず、画風は全体にやまと絵風と指摘されている。武者の面貌は全体に眼が大きめでいかめしい。また、石橋山山中の頼朝一行が描かれている点からみて、本来は石橋山合戦などを描いたもう一隻と対になる屏風と考えられる。

資料データ

資料ID
2730
種類
近世絵画
分野
美術
コレクション
時代
江戸時代前期
年月日
西暦
世紀
17
数量
6曲1隻
サイズ
119.2×301.7
材質
紙本金地金雲着彩
文化財指定
使用者・使用地・伝来
作者
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