播磨赤松氏の祖円心の肖像画。円心は、元弘3年(1333)2月、大塔宮護良親王の令旨を受け、本拠地苔縄城(上郡町)に後醍醐天皇方として挙兵し、六波羅探題攻略に大きな功績をあげた。その後、建武3年(1336)の室町幕府樹立へ向けた戦いでは、足利尊氏に与して白旗城(上郡町)で宮方と戦い、尊氏が九州で再起を果たす貴重な時間を稼いだ。この功績によって播磨守護に任じられ、以後の赤松氏の基礎を築いた。また円心は禅宗に帰依し、雪村友梅を招いて苔縄に法雲寺を開いた。観応元年(1350)1月、74歳で没。 円心の像としては、宝林寺(上郡町)の木像がよく知られているほか、画像は大徳寺玉林院に伝えられる。右手に扇を持って坐す僧形の像で、無精髪を生やした姿で描かれている。図上には大徳寺190世仙溪宗春の賛があり、江戸初期の制作と考えられる。 当館の円心像は、玉林院本を写したもので、画家は久留米藩有馬家のお抱絵師狩野(三谷)永雪白信である。雲谷派の三谷等哲の子哲悦が有馬家に仕え、以後代々有馬家の御用絵師をつとめた。3代安俊の代に狩野安信の門に学び、それ以後狩野を名のり、狩野派の画風に転じた。永雪白信はその5代目で宝暦6年(1756)に没している。有馬氏は赤松氏一族の末裔である。
資料解説
播磨赤松氏の祖円心の肖像画。円心は、元弘3年(1333)2月、大塔宮護良親王の令旨を受け、本拠地苔縄城(上郡町)に後醍醐天皇方として挙兵し、六波羅探題攻略に大きな功績をあげた。その後、建武3年(1336)の室町幕府樹立へ向けた戦いでは、足利尊氏に与して白旗城(上郡町)で宮方と戦い、尊氏が九州で再起を果たす貴重な時間を稼いだ。この功績によって播磨守護に任じられ、以後の赤松氏の基礎を築いた。また円心は禅宗に帰依し、雪村友梅を招いて苔縄に法雲寺を開いた。観応元年(1350)1月、74歳で没。
円心の像としては、宝林寺(上郡町)の木像がよく知られているほか、画像は大徳寺玉林院に伝えられる。右手に扇を持って坐す僧形の像で、無精髪を生やした姿で描かれている。図上には大徳寺190世仙溪宗春の賛があり、江戸初期の制作と考えられる。
当館の円心像は、玉林院本を写したもので、画家は久留米藩有馬家のお抱絵師狩野(三谷)永雪白信である。雲谷派の三谷等哲の子哲悦が有馬家に仕え、以後代々有馬家の御用絵師をつとめた。3代安俊の代に狩野安信の門に学び、それ以後狩野を名のり、狩野派の画風に転じた。永雪白信はその5代目で宝暦6年(1756)に没している。有馬氏は赤松氏一族の末裔である。