喜多元規は、黄檗(おうばく)肖像画家。長崎で喜多長兵衛道矩に画法を学んだらしい。現在までに200点以上の元規作品が知られ、それらにより寛文4年(1664)頃から宝永6年(1709)頃までの46年程の作画期間が確認されている。また、元規作品のうち延宝2年(1674)夏以前に描かれたものには「元規」(朱印方印)のみが捺され、それ以降に描かれたものには「元規」(朱文方印)と「喜多氏」(白文方印)の2印が捺されるという凡その特徴も指摘されている。「鍋島直朝像」は画面が切り詰められた可能性のある作品だが、「元規」(朱文方印)と「喜多氏」(白文方印)が捺されている。 鍋島直朝は佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の9男で、支藩鹿島藩主となった人物。致仕後、紹龍と号した。喜多元規は本作品の他に延宝5年の千呆性侒(せんがいしょうあん)賛をもつ「鍋島直朝像」(祐徳博物館)を描いている。本作品を考える際、参考となる作品である。また、喜多元規作品以外では、寛文7年(1667)の自賛のある「鍋島紹龍自画像」、病弱ゆえ黄檗僧となった直朝の実子・断橋実外の賛をもつ「鍋島直朝像」(長崎市立博物館)がある。
資料解説
喜多元規は、黄檗(おうばく)肖像画家。長崎で喜多長兵衛道矩に画法を学んだらしい。現在までに200点以上の元規作品が知られ、それらにより寛文4年(1664)頃から宝永6年(1709)頃までの46年程の作画期間が確認されている。また、元規作品のうち延宝2年(1674)夏以前に描かれたものには「元規」(朱印方印)のみが捺され、それ以降に描かれたものには「元規」(朱文方印)と「喜多氏」(白文方印)の2印が捺されるという凡その特徴も指摘されている。「鍋島直朝像」は画面が切り詰められた可能性のある作品だが、「元規」(朱文方印)と「喜多氏」(白文方印)が捺されている。
鍋島直朝は佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の9男で、支藩鹿島藩主となった人物。致仕後、紹龍と号した。喜多元規は本作品の他に延宝5年の千呆性侒(せんがいしょうあん)賛をもつ「鍋島直朝像」(祐徳博物館)を描いている。本作品を考える際、参考となる作品である。また、喜多元規作品以外では、寛文7年(1667)の自賛のある「鍋島紹龍自画像」、病弱ゆえ黄檗僧となった直朝の実子・断橋実外の賛をもつ「鍋島直朝像」(長崎市立博物館)がある。