元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下において赤穂藩主浅野長矩(ながのり)が高家筆頭吉良義央に刃傷に及んだ。幕府は、長矩に切腹、浅野家断絶、領地没収の裁断を下した。そして、幕府から赤穂城請取を命じられた龍野藩主脇坂安照と備中足守藩主木下きん定(さだ)は、4月19日に赤穂城に入城した。この文書は、脇坂安照が入城するにあたっての行列の編成を記したもので、体裁からみて写本であると思われる。表紙には、「元禄十四年脇坂淡路守赤穂城御請取御在番御勤 行列但高三万五千石之御軍役」とあり、表紙とも27丁からなる。1丁目には「脇坂淡路守御人数 高三万五千石之御軍役」として、騎馬86騎、供小姓31人といった人数等の書上げがある。2丁目からは「家老 脇坂玄蕃(げんば)」を筆頭に役職名・人名・人数など行列の編成を記している。
資料解説
元禄14年(1701)3月14日、江戸城松の廊下において赤穂藩主浅野長矩(ながのり)が高家筆頭吉良義央に刃傷に及んだ。幕府は、長矩に切腹、浅野家断絶、領地没収の裁断を下した。そして、幕府から赤穂城請取を命じられた龍野藩主脇坂安照と備中足守藩主木下きん定(さだ)は、4月19日に赤穂城に入城した。この文書は、脇坂安照が入城するにあたっての行列の編成を記したもので、体裁からみて写本であると思われる。表紙には、「元禄十四年脇坂淡路守赤穂城御請取御在番御勤 行列但高三万五千石之御軍役」とあり、表紙とも27丁からなる。1丁目には「脇坂淡路守御人数 高三万五千石之御軍役」として、騎馬86騎、供小姓31人といった人数等の書上げがある。2丁目からは「家老 脇坂玄蕃(げんば)」を筆頭に役職名・人名・人数など行列の編成を記している。