『播磨鑑』(はりまかがみ)

宝暦12(1762)年ごろに成立した播磨の地理書。著者は、播磨国印南郡平津村(はりまのくにいなみぐんひらつむら=現在の加古川市米田町平津)の医者であった平野庸脩(ひらのつねなが、ひらのようしゅう)。享保4(1719)年ごろから執筆が始められ、一旦完成して姫路藩に提出した宝暦12年以降にも補訂作業が進められた。著者の40年以上にわたる長期の調査・執筆活動の成果である。活字化されたものは、播磨史籍刊行会校訂『地志 播磨鑑』(播磨史籍刊行会、1958年)がある。

 
『播陽万宝智恵袋』(ばんようばんぽうちえぶくろ)

天川友親(あまかわともちか)が編纂した、播磨国の歴史・地理に関する書籍を集成した書物。宝暦10(1760)年に一旦完成したが、その後にも若干の収録書籍の追加が行われている。天川友親は現在の姫路市御国野町御着(ひめじしみくにのちょうごちゃく)の商家に生まれた。収録された書物は、戦国末・安土桃山時代から、友親の同時代にまでわたる125件に及ぶ。これらのほとんどは、現在原本が失われてしまっており、本書の価値は高い。活字化されたものは、八木哲浩校訂『播陽万宝知恵袋』上・下(臨川書店、1988年)がある。

 
『めざまし草』(めざましぐさ)

『播陽万宝智恵袋(ばんようばんぽうちえぶくろ)』巻42収録。天正7(1579)年永良鶴翁(ながらかくおう)著。播磨国内のさまざまな奇談、逸話を集めたもの。著者の永良鶴翁については詳しくはわからないが、現在の市川町西部にあった永良荘(ながらのしょう)に居住した人物と見られている。なお、奥書には「芦屋道たつ」という人物が見えるが、これは『播陽万宝智恵袋』巻15収録の『播磨国衙巡行考証(はりまこくがじゅんこうこうしょう)』の著者である「芦屋道建」を指すと見られる。道建は、天正ごろ活動した人物であるので、本書も天正ごろの書物と見てよいだろう。

 
『播陽うつつ物語』(ばんよううつつものがたり)

『播陽万宝智恵袋(ばんようばんぽうちえぶくろ)』巻39収録。奥書によると、天正元(1573)年12月10日の夜、赤松了益(あかまつりょうえき)が久保玄静(くぼげんせい)に話した内容をまとめたもので、剣持清詮(けんもちきよあき)が所蔵していた本を三木通識が元禄年間に転写し、延享5(1748)年に校訂したものとされる。播磨の古跡の由来や物語が、別の本からの引用を含めて記されている。著者の赤松了益は、龍野赤松氏の一族で、戦国末期から安土桃山時代にかけて龍野で医業を営む傍ら著述を行った人物とされ、『播陽万宝智恵袋』にも他に3点の著書が収録されている。

 
『播州古所跡略説』
(ばんしゅうこしょせきりゃくせつ)

『播陽万宝智恵袋(ばんようばんぽうちえぶくろ)』巻13収録。宝暦6年天川友親(あまかわともちか)の著。播磨の名所、寺社、故事、伝説など101項目を記す。著者の天川友親は『播陽万宝智恵袋』の編纂者。詳しくは、本用語解説の『播陽万宝智恵袋』項目を参照されたい。

 
『今昔物語集』(こんじゃくものがたりしゅう)

12世紀成立と見られる説話集。著者は大寺院の僧侶と考えられているが、詳しくはわかっていない。天竺(てんじく=インド)・震旦(しんたん=中国)・本朝(ほんちょう=日本)の三部構成で、合計1,000話以上が収録されている。

ただし、未完成のまま残された書物と見られ、全体の構成は完結しておらず、また地名などを中心に記述が空白のまま残されている箇所も多い。また収録された説話は、大部分が数多くの先行文献から採録されたものと見られているが、仏教的な功徳、霊験譚などの仏教的説話から、武士の武功や民間の奇談異聞などの世俗的説話まで、幅広い内容の話がみられる。平安時代後期の社会相を知る上で貴重な文献。

 
『捜神記』(そうじんき)

東晋(とうしん)王朝の官僚である干宝(かんぽう)が編纂した怪異話、奇談を集めた書物。こうした書物のジャンルを「志怪(しかい)」と呼ぶ。本書が著された六朝時代(3~6世紀)は、こうした「志怪」が現れはじめ、盛んに記されていた時代であった。著者の干宝は、王朝の歴史編纂にも携わっており、『晋紀(しんぎ)』という晋王朝の歴史書も著している。『捜神記』にも、こうした干宝の学識が反映されていると見られていて、収録された話題の幅が広いことや、過去の史料や書籍からの引用が見られる点が特徴とされている。

 
宝筐印塔(ほうきょういんとう)

本来は「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」を納めるための塔。日本ではとくに石塔の場合、墓碑や供養塔として建てられるようになっていた。石塔としては、鎌倉時代中ごろからの遺品が残る。形状は、方形の基礎、基礎よりも小ぶりな塔身、笠形の屋根、円筒状の相輪からなる。屋根には四隅に隅飾(すみかざり)と呼ばれる突起が立てられる。この隅飾りの開きぐあいに時代ごとの特徴がよくあらわれ、古いものほど直立し、新しいものは外側へ開いていく傾向がある。

 
五輪塔(ごりんとう)

供養塔、墓塔として造られることが多かった仏塔の一種。石製のものが多く残る。下から順に、基礎にあたる方形の地輪(ちりん)、円形の水輪(すいりん)、笠形の火輪(かりん)、半球形の風輪(ふうりん)、宝珠形(ほうしゅがた)の空輪(くうりん)の五段に積み、古代インドで宇宙の構成要素と考えられていた、地、水、火、風、空(五大、ごだい)をあらわす。密教の影響が強く、石塔としては平安時代末期からの遺品が知られている。

 
『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ)

鎌倉時代後期に成立した仏教史書。日本への仏教伝来から元亨2(1322)年までの僧侶の伝記や諸事跡を記したもの。著者は禅僧の虎関師錬(こかんしれん)。南北朝時代に、朝廷の許可によって大蔵経(だいぞうきょう、仏教の主要経典集)に加えられ、永和3(1377)年に初版本が刊行されている。

 
『峰相記』(みねあいき)

峰相山鶏足寺(みねあいさんけいそくじ=現在の姫路市石倉の峰相山山頂付近にあった寺)の僧侶が著した中世播磨の宗教・地理・歴史を記した書物。原本は本文冒頭の記述から貞和4(1348)年ごろに成立したと考えられる。現存する最善本は揖保郡太子町(いぼぐんたいしちょう)の斑鳩寺(いかるがでら)に伝わる写本で、奥書から永正8(1511)年2月7日に書写山別院(しょしゃざんべついん)の定願寺(じょうがんじ)で写されたものであることがわかる。活字化されたものは、『兵庫県史』史料編中世4(兵庫県史編集専門委員会、1989年)や、全文口語訳をした、西川卓男『口語訳『峰相記』――中世の播磨を読む――』(播磨学研究所、2002年)などがある。

 
『捜神後記』(そうじんこうき)

干宝(かんぽう)著『捜神記』の続編を標榜した書物。鬼神や動物にまつわる怪異話が目立ち、仏教に関する話題が収められている点が特徴とされる。著者は陶潜(とうせん、365―427)とされる。陶潜は字(あざな、通称)は淵明(えんめい)。現在の江西省の人で、自由な隠遁生活を好み、詩の「帰去来辞(ききょらいじ)」の作者としてよく知られている。