ポットホール(甌穴)(ぽっとほーる(おうけつ))

河床が岩盤などの硬い物質でできていた場合、そこにできた割れ目などの弱い部分が水流で侵食されてくぼみとなる。そのくぼみに礫が入り、水流によって回されることで、岩盤を丸く浸食してできる穴のこと。

 
柳田國男(やなぎたくにお)

1875―1962。1875(明治8)年、現在の福崎町西田原辻川区(ふくさきちょうにしたわらつじかわく、当時の兵庫県神東郡田原村辻川)に松岡操(まつおかみさお)の6男として生まれる。11歳の時辻川の旧家三木家に預けられ、同家の蔵書を濫読したという。13歳で長兄の鼎(かなえ)に引き取られ、茨城県利根町(いばらきけんとねちょう、当時の茨城県北相馬郡布川村)に転居した。

東京帝国大学に入学し、このころから兄井上通泰(いのうえみちやす)の紹介などで、田山花袋(たやまかたい)、島崎藤村(しまざきとうそん)などの文学者との交流を持つ。大学卒業後、柳田家の養子となり、農商務省に就職し、その後法制局参事官、内閣書記官記録課長、貴族院書記官長などを歴任する。

こうした官僚としての仕事の傍ら、『遠野物語(とおのものがたり)』の刊行や雑誌『郷土研究』の創刊など、後に自らが「民俗学」として確立させる分野の研究と組織作りを進めた。1919(大正8)年に官界を辞職、以後東京朝日新聞社客員などを経て、民俗学研究の確立に専念する。戦後も自宅に民俗学研究所を設立、日本民俗学会の会長を務めるなど活躍を続けた。1962(昭和37)年死去。著作集としては、『定本柳田國男集』全31巻+別巻5冊(筑摩書房)、『柳田國男全集』全36巻+別巻2(筑摩書房、刊行中)などがある。