『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)

律令国家(りつりょうこっか)の命令によって編纂された古代播磨の地理書。霊亀元(715)年前後に編纂されたものと見られている。現存するものは、三条西家(さんじょうにしけ)に所蔵されていた古写本で、巻首の赤石(明石=あかし)郡の全部、賀古(加古=かこ)郡冒頭の一部と、巻末の赤穂郡(あこうぐん)の全部の記載が欠落している。活字化されたものは、日本古典文学大系新装版『風土記』(秋本吉郎校注、岩波書店、1993年)のほか、全文を読み下しした、東洋文庫145『風土記』(吉野裕訳、平凡社、1969年)などがある。

 
『播州巡行(考)聞書』
(ばんしゅうじゅんこうききがき)

『播陽万宝智恵袋(ばんようばんぽうちえぶくろ)』巻43収録。芦屋道海(あしやどうかい)著。播磨諸所の古跡、寺社や武家、僧侶たちをめぐる奇談や逸話を集めた書物。芦屋道海は天正年間に著作活動を進めた人物であり、本書もそのころの成立と考えられる。道海については、本用語解説『播磨府中めぐり(はりまふちゅうめぐり)』項目を参照されたい。

 
『播陽万宝智恵袋』(ばんようばんぽうちえぶくろ)

天川友親(あまかわともちか)が編纂した、播磨国の歴史・地理に関する書籍を集成した書物。宝暦10(1760)年に一旦完成したが、その後にも若干の収録書籍の追加が行われている。天川友親は現在の姫路市御国野町御着(ひめじしみくにのちょうごちゃく)の商家に生まれた。収録された書物は、戦国末・安土桃山時代から、友親の同時代にまでわたる125件に及ぶ。これらのほとんどは、現在原本が失われてしまっており、本書の価値は高い。活字化されたものは、八木哲浩校訂『播陽万宝知恵袋』上・下(臨川書店、1988年)がある。

 
『播州府中記』(ばんしゅうふちゅうき)

『播陽万宝智恵袋(ばんようばんぽうちえぶくろ)』巻14収録。天正4(1576)年芦屋道仙(あしやどうせん)の著。播磨の伝説集で、もと79項目の話が収められていたが、『播陽万宝智恵袋』には、三木通識が他書に出ているものを省いて、19項目を抽出したものが収められている。芦屋道仙は、『播陽万宝智恵袋』巻43収録の赤松了益(あかまつりょうえき)著『播州龍城聞書(ばんしゅうりゅうじょうききがき)』に、飾東郡三宅(しきとうぐんみやけ=現在の姫路市三宅)に住む占い師であり、平安時代の伝説的陰陽師芦屋道満(あしやどうまん)の子孫である、と記されているので、実在の人物と見てよいだろう。なお、三木通識については、本用語解説の『播州府中めぐり拾遺(ばんしゅうふちゅうめぐりしゅうい)』項目を参照されたい。

 
『峰相記』(みねあいき)

峰相山鶏足寺(みねあいさんけいそくじ=現在の姫路市石倉の峰相山山頂付近にあった寺)の僧侶が著した中世播磨の宗教・地理・歴史を記した書物。原本は本文冒頭の記述から貞和4(1348)年ごろに成立したと考えられる。現存する最善本は揖保郡太子町(いぼぐんたいしちょう)の斑鳩寺(いかるがでら)に伝わる写本で、奥書から永正8(1511)年2月7日に書写山別院(しょしゃざんべついん)の定願寺(じょうがんじ)で写されたものであることがわかる。活字化されたものは、『兵庫県史』史料編中世4(兵庫県史編集専門委員会、1989年)や、全文口語訳をした、西川卓男『口語訳『峰相記』――中世の播磨を読む――』(播磨学研究所、2002年)などがある。

 
羽柴秀吉(はしばひでよし)

1537―1598。織田信長に仕えて頭角を現し、天正5(1577)年に信長の命を受けて播磨に進出する。この時点ですでに播磨の多くの勢力は信長に服属していたが、小寺孝高(こでらよしたか、後の黒田如水)の協力などによってあらためて平定を進めた。しかし、天正6(1578)年に三木の別所(べっしょ)氏、摂津有岡城(ありおかじょう=現在の伊丹市)の荒木村重(あらきむらしげ)が相次いで離反したため、三木城などをめぐって戦った。天正8(1580)年に、別所氏のほか、英賀(あが=現在の姫路市飾磨区英賀宮町付近)の一向一揆勢力、宍粟郡(しそうぐん)の宇野(うの)氏などを攻略して播磨を平定した。また同時期に但馬へも兵を進めていて、最終的には播磨と同じ天正8年に、守護家山名氏を降伏させて平定した。天正9(1581)年には因幡国鳥取城や淡路国を攻略するとともに、居城としていた姫路城を改築している。

天正10(1582)年の本能寺の変の後、明智光秀(あけちみつひで)、柴田勝家(しばたかついえ)らを相次いで滅ぼし、小牧・長久手の戦い(1584年)の2年後に徳川家康(とくがわいえやす)を臣従させ、天正13(1585)年に四国を平定する。翌14年には豊臣姓を名乗り関白となり、15年に九州を平定、天正18(1590)年に関東、東北を平定し全国を統一した。文禄元(1592)年からは2度にわたる朝鮮半島への侵略戦争を進めたが、慶長3(1598)年に没した。

 
『播州古所伝聞志』(ばんしゅうこしょでんぶんし)

『播陽万宝智恵袋(ばんようばんぽうちえぶくろ)』巻14収録。天正2(1574)年芦屋道考(あしやどうこう)の著。播磨の社寺、歴史、風俗などを記したもの。本来は82項目の話が載せられた書物であったが、『播陽万宝智恵袋』には、三木通識が他書との重複を省いて抽出した39項目が載せられている。著者の芦屋道考については詳しいことはわからない。三木通識については、本用語解説の『播州府中めぐり拾遺(ばんしゅうふちゅうめぐりしゅうい)』項目を参照されたい。