通幻寂霊(つうげんじゃくれい)

1322―91。南北朝時代に活躍した曹洞宗(そうとうしゅう)の僧侶。比叡山(ひえいざん)で出家後、豊後国(ぶんごのくに=現在の大分県)大光寺、加賀国(かがのくに=現在の石川県)大乗寺などで修行し、応安元(1368)年には曹洞宗大本山総持寺(そうじじ)の住持となる。また、応安3(1370)年には丹波国に永沢寺を開き、そのほか、加賀国聖興寺、越前国(えちぜんのくに=現在の福井県東部)竜泉寺を開いた。了庵慧明(りょうあんえめい)ら通幻十哲(つうげんじゅってつ)と呼ばれる弟子たちが全国に寺院を開き、曹洞宗の中での一流派となった。

 
曹洞宗(そうとうしゅう)

禅宗の宗派の一つ。日本では、鎌倉時代にこの宗派の教えを伝えた道元(どうげん)の法系によって代表される。道元は、現在の福井県永平寺町(ふくいけんえいへいじちょう)に永平寺を開いた。曹洞宗は、南北朝・室町時代以降になると、庶民の葬送儀礼に積極的に関わることによってその教線を広げていった。

 
総持寺(そうじじ)

石川県輪島市門前町(いしかわけんわじましもんぜんまち)にあった曹洞宗の大本山の一つ。もとは真言宗の寺であったというが、元亨元(1321)年、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が律宗から禅宗にあらため、永平寺(えいへいじ)とならぶ曹洞宗の大本山となった。1898(明治31)年、火災による焼失を契機に移転計画が進められ、1911(明治44)年に神奈川県横浜市鶴見区(かながわけんよこはましつるみく)に移転した。なお、輪島市門前町には現在も総持寺祖院が残る。

 
『夷堅志』(いけんし)

中国南宋(なんそう)の時代に洪邁(こうまい、1123―1202)が編纂した奇談集。洪邁は政府の官僚で、歴史書の編纂にも従事した知識人。もと420巻あったが、多くは早く散逸したと見られている。人智を超えた怪異・奇跡の話を集める書物は、中国では六朝時代(りくちょうじだい、3世紀~6世紀)に盛んで、こうした書物を「志怪(しかい)」と呼んだ。『夷堅志』は、こうした流れをくむ新しい時期の書物である。