赤穂浪士(あこうろうし)

 赤穂義士(あこうぎし)とも呼ぶ。元禄15(1702)年に、吉良義央(きらよしひさ)を襲って、主君浅野長矩(あさのながのり)の仇(あだ)を討った、元赤穂藩士の47名のこと。この事件は「元禄赤穂事件」と呼ばれ、後には事件を題材とした『仮名手本忠臣蔵』をはじめとする小説、芝居などに取り上げられて人気を博した。

 
千種川(ちくさがわ)

 兵庫県の播磨地域西部を流れ瀬戸内海に注ぐ河川。鳥取県境にある三室山南麓に源流をもち、延長は67.6km、流域面積は752平方キロメートル。河口には赤穂三角州が発達する。上・中流域に大規模な都市がないため、良好な水質が維持されており、兵庫県を代表する清流とされている。

 
大津八幡神社(おおつはちまんじんじゃ)

 赤穂市大津に所在する八幡神社。和気清麻呂が九州の宇佐神宮から勧請(かんじょう:神仏を分けて別の地に祭ること)したとされる。大津八幡神社の木造菩薩立像は、赤穂市指定文化財。

 
和気清麻呂(わけのきよまろ)

 奈良時代末~平安時代初頭の公卿(733~99)。従三位。769年、僧道鏡が皇位を奪おうとした事件の際、宇佐八幡宮の神託をもってこれを退けた。そのため大隅(鹿児島県)に流されたが、道鏡の失脚後に復権。桓武天皇(かんむてんのう)の信任を得た。

 
称徳天皇(しょうとくてんのう)

 奈良時代末の女性の天皇(718~70)。第46代の孝謙天皇(こうけんてんのう)として在位した後、淳仁天皇(じゅんにんてんのう)に譲位したが、藤原仲麻呂の乱の責めによって淳仁天皇を退位させて、再度第48代天皇として即位した。その後、天皇に寵愛された僧道鏡が実権を握り皇位を奪おうとしたため、これに反対する貴族が、和気清麻呂を宇佐八幡宮に派遣して、神託を得るという事件が起こった。

 
宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)

 大分県宇佐市に所在する神社。正式には宇佐神宮。八幡神社の総本宮とされる。社伝によれば725年に創建されたといい、第一位の祭神を応神天皇とし、以下、比売大神(ひめのおおかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう:仲哀天皇の皇后で応神天皇の母)を祭る。八幡造(はちまんづくり)と呼ばれる建築様式の本殿は国宝。

 
黒鉄山(くろがねやま)

 赤穂市西部にある山。標高は430.9m。頂上からは、瀬戸内海方面の眺望が開ける。

 
赤穂城(あこうじょう)

 赤穂市上仮屋に所在する江戸時代の城。別名を蓼城(たでのすじょう)という。国史跡。赤穂三角州上にある、典型的な平城である。室町時代から安土桃山時代にかけて、同地には加里屋城、大鷹城があった。縄張りは変形輪郭式。本丸と二の丸が輪郭式に配され、その北側に三の丸が梯郭式に置かれている。天守台は設けられているが、天守閣は建築されなかった。縄張りは甲州流兵学者の近藤正純。

 
花岳寺(かがくじ)

 赤穂市加里屋に所在する曹洞宗の寺院。台雲山(たいうんざん)と号する。歴代赤穂藩主の菩提寺。浅野長直(あさのながなお)が、藩主として常陸笠間から赤穂に移った際に建立した。浅野長矩(あさのながのり)の切腹によって浅野氏が断絶して後は、永井氏、森氏の菩提寺となった。大石良雄をはじめ、赤穂義士ゆかりの遺品を多く残す。

 
浅野氏(あさのし)

 浅野氏は、もと常陸国笠間を領したが、1645年に赤穂へ転封され、以後1701年までの間、長直(ながなお)、長友(ながとも)、長矩(ながのり)の三代にわたり赤穂藩主をつとめた。長矩は1701年に、江戸城内で刃傷事件を起こして切腹。浅野家は断絶した。

 
菩提寺(ぼだいじ)

 先祖代々の墓を置き、葬式や法事をおこなう寺。

 
大石良雄(おおいしよしお)

 赤穂藩の家老(1659~1703)。内蔵助(くらのすけ)は通称。藩主浅野長矩(あさのながのり)が、江戸城内で吉良義央(きらよしひさ)を負傷させた事件で切腹を命じられた後、浅野家再興を図ったが受け入れられなかった。長矩切腹の翌年、赤穂浪士46人とともに、江戸本所にあった吉良邸に討ち入り、義央を殺して主君の仇(あだ)を討った。

 
生島(いくしま)

 赤穂市東部の坂越湾(さこしわん)にある島。島内の樹林は、対岸にある大避神社の森として長く保護されており、スダジイやアラカシ、タブノキなどが繁茂する暖地性の自然林となっている。植生の重要性から、瀬戸内海国立公園の特別保護区および国の天然記念物に指定されている。

 
大避神社(おおさけじんじゃ)

 赤穂市坂越(さこし)に所在する神社。創建年代は不詳であるが、鎌倉時代には有力な神社であったとされる。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、春日大神(かすがのおおかみ)、大避大神(おおさけのおおかみ)。大避大神とは、秦氏の祖先である酒公(さけのきみ)と秦河勝(はたのかわかつ)である。元は大酒社(おおさけのやしろ)と呼ばれ、坂越湾内の生島に祭られていた。例祭は瀬戸内三大船祭りの一つに数えられ、2艘(そう)の小船に神輿を乗せて船渡御がおこなわれる。

 
コヤスノキ(こやすのき)

 トベラ科トベラ属の常緑低木。学名はPittosporum illicioides。中国中部、台湾にも分布する。明治32年に、揖保郡(いぼぐん)新宮町において大上宇市(おおうえういち)が発見し、牧野富太郎(まきのとみたろう)が新種として発表した。

 
チトセカズラ(ちとせかずら)

 マチン科ホウライカズラ属のつる性木本。学名はGardneria multiflora。日本、中国に分布するが、国内での分布は中国地方と琉球列島に限られ、兵庫県は分布の東限にあたる。