くわばらくわばら(くわばらくわばら)

 落雷や災難、いやな事などを避けるために唱える言葉。桑畑には落雷しないという言い伝えによるものとされ、あるいは、菅原道真の領地であった和泉国桑原には、一度も落雷がなかったことによるともいわれる(ただし、和泉国の桑原に菅原道真の所領があったことを示す、正確な史料は存在しない)。三田市桑原と同様の伝説が、和泉国(現在の和泉市桑原町所在の西福寺)にもあるという。

 
三田市(さんだし)

 兵庫県東部に所在する市。旧有馬郡北半部にあたり、江戸時代には三田藩として、九鬼氏が約240年間統治した。1958年より市制を施行。1980年代以降はニュータウン開発が進み、神戸、大阪のベッドタウンとして発展した。2007年11月現在の人口は、約113,600人である。

 
欣勝寺(きんしょうじ)

 三田市桑原に所在する、曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院。太宋山(たいそうざん)と号する。平安時代中期にあたる天禄年間(970~73)に、清和天皇(せいわてんのう)から分かれた源満仲(みなもとのみつなか)が開いたとされる。元は真言宗であったが、鎌倉時代、曹洞宗の開祖道元が桑原を訪れた際、この寺の山が宋の不老山に似ることから太宋山欣勝寺と命名し、以後、曹洞宗に改宗されたと伝える。

 
武庫川(むこがわ)

 篠山盆地に源流をもち、三田盆地、武庫川渓谷を経て大阪湾に注ぐ河川。延長は約65km、流域面積は496平方キロメートル。主な支流には、青野川、有馬川、波豆川などがある。三田盆地より下流にあたる、宝塚市武田尾(たけだお)から西宮市生瀬(なまぜ)周辺では、深さ100~200mの渓谷を形成する。下流域は武庫平野とも呼ばれ、大阪平野の北西部を占める。河口付近は「武庫の浦」と呼ばれ、万葉集にもその地名が見える。

 
三輪神社(みわじんじゃ)

 三田市三輪に所在する神社。大和国一宮である大神神社(おおみわじんじゃ:奈良県桜井市所在)から分祀(ぶんし:神を分けて祭ること)された神社で、オオナムチノミコト(大己貴神)を祭神とする。新抄挌勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう:平安時代に成立した法制書)等によれば、天平神護元(765)年9月摂津の国に大和の大神神社の封戸(ふこ:社寺に所属して、租税や労役を納める民)を置いたという記述が見えることから、この時代にはすでに存在していたと考えられており、県下でも屈指の古社である。

 
三田焼(さんだやき)

 三田市内で、18世紀後半から昭和10(1935)年ごろまで生産された陶磁器の総称。寛政11(1799)年から大正初期まで続いた、三輪明神窯はその代表である。三田焼で最も著名なものは三田青磁(さんだせいじ)であるが、初期には、赤絵や染付などを生産していた。

 文政7(1810)年には、京都から欣古堂亀祐(きんこどうかめすけ(1765~1837):京都の陶工。三輪明神窯に招請されて特に青磁の制作を指導し、三田青磁の恩人と称えられる。後には、丹波篠山市内で王子山焼の制作を指導した)を迎えて、青磁のほか、赤絵や染付磁器も多数生産されるようになり、三田焼は最盛期に至った。しかし、亀祐が去って以後はしだいに衰退した。明治に入り三田陶器会社が設立されて、一時復興をとげたが、昭和10年ごろに生産を終えた。

 
大神神社(おおみわじんじゃ)

 奈良県桜井市にある神社。神社東方にある三輪山を神体として祭る。大和国一宮で、三輪明神とも呼ばれる。祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)。日本で最も古い神社の一つとされている。

 
遷宮(せんぐう)

 神社において、本殿を建て替えて、神体・神霊を移すこと。遷座ともいう。定期的におこなわれるものを式年遷宮と呼び、伊勢神宮の場合は、20年に一度すべての社殿を建て替えて遷宮がおこなわれている。

 
染付(そめつけ)

 素焼きした磁器の表面に、呉須(ごす:酸化コバルトを主成分として鉄・マンガン・ニッケルなどを含む鉱物質の顔料)で下絵付けを施し、その上に透明な釉(うわぐすり)をかけて焼いたもの。青または紫がかった青に発色する。中国の元代に始まり、明代に隆盛。日本では江戸初期の伊万里焼に始まる。

 
磁器(じき)

 やきもののうち、白色で透光性があり、硬く緻密(ちみつ)で吸水性がなく、叩(たた)くと金属的な音を発するもの。ただし磁器の概念は幅が広く、国によっても異なっており、中国においても陶器と磁器の区別は、日本と大きく異なっている。

 
青磁(せいじ)

 青緑~緑色の釉(うわぐすり)を特徴とする磁器。白磁、黒釉磁(こくゆうじ)とともに、東アジア三大陶磁器とされる。

 
青野ダム(あおのだむ)

 三田市末を流れる武庫川支流の青野川に、洪水調整、灌漑(かんがい)用水の確保などを目的として建設されたダム。1988年竣工。ダム湖は千丈寺湖(せんじょうじこ)と呼ばれる。総貯水量は1,510万立方メートル。

 青野ダム建設範囲内では、ダム建設に伴って、後期旧石器時代から中世にわたる、集落、古墳、窯跡など、さまざまな種類の遺跡が発掘調査された。その一部は、現在、青野ダム記念館(三田市末字末野道東2189-1 三田市立青野ダム記念館 079-567-0590)で展示されている。

 
ブラックバス(ぶらっくばす)

 スズキ目サンフィッシュ科の淡水魚のうち、オオクチバス、コクチバスなどの総称。北米が原産で、日本には、1925年に移入された(箱根、芦ノ湖)。その後人為的放流が繰り返されたことで全国に広がったが、特に1980年代以降、ゲームフィッシングの対象魚として爆発的に広がり、兵庫県下でもほとんどの河川、ため池等で生息が確認されるまでに至っている。ブラックバスの放流によって、在来の魚類が激減するなどの影響が指摘されており、2004年に制定された「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」により、輸入放流などが禁止された。

 
ゲンジボタル(げんじぼたる)

 甲虫目ホタル科に属する昆虫。成虫の体長は15mm前後で、腹部末端に発光器官をもつ。また、卵・幼虫も発光する。本州・四国・九州の、水質が良い河川に生息し、成虫は6月頃にあらわれる。水質の悪化や、河川の護岸がコンクリート化されたことによって激減していたが、現在は、各地で復活の試みがおこなわれている。

 
末の観音様(すえのかんのんさま)

 三田市末に伝わる民話。戦乱によって観音像が池に投げ込まれ、それを知らない人が池に入って像を踏んだところ、腹痛をおこした。そこで池を干したところ、観音像が見つかったため、村でお祭りをするようになり、以降、村では常に田畑の実りも豊かであったと伝える。

 
伽藍・伽藍配置(がらん・がらんはいち)

 伽藍とは寺院の建物のこと。伽藍配置とは、寺院における堂塔の配置で、時代や宗派により、一定の様式がある。

 
永沢寺(ようたくじ)

 三田市に所在する、曹洞宗の寺院。青原山(せいげんざん)と号する。応安年間(14世紀後半)に、細川頼之(ほそかわよりゆき)が後円融天皇(ごえんゆうてんのう)の命により七堂伽藍を建立した。開祖は、通幻(つうげん)。以後細川氏の庇護を受けた。

 釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来の釈迦三尊を本尊とする。建物は、安永7(1778)年に再建された本堂、開祖堂、庫裡、接賓、書院などがある。

 
室町時代(むろまちじだい)

 足利尊氏(あしかがたかうじ)が建武式目(けんむしきもく)を制定した1336年、または征夷大将軍に任ぜられた1338年から、織田信長(おだのぶなが)によって、足利義昭(あしかがよしあき)が京から追放された1573年までの、約240年間。1467年の応仁の乱以降は、戦国時代とも呼ばれる。

 
細川氏(ほそかわし)

 清和源氏(せいわげんじ)の流れをひく、足利氏の支族。足利義季(あしかがよしすえ)が三河国細川村に住み、細川姓を名乗ったことに始まる。足利尊氏(あしかがたかうじ)の挙兵に従ったことから、室町幕府の管領(かんれい:室町幕府で将軍を補佐した最高職)として、讃岐・阿波・河内・和泉などを領国として勢威をふるった。

 応仁の乱後は衰退したが、織田氏、豊臣氏に仕えた後、関ヶ原の戦いでは徳川氏に属し、江戸時代には肥後熊本54万石を領する有力外様大名となった。

 
通幻(つうげん)

 室町時代、曹洞宗の僧(1322~91)。豊後国(大分県)に生まれ、長じて能登国(石川県)総持寺に入った。細川頼之(ほそかわよりゆき)により建立された、永沢寺の開山として迎えられ、丹波地域に教えを広めた。後、総持寺住職。

 通幻の禅は極めて峻烈で、試問に答えられない者を、境内に掘った穴へ投げ込んだと伝えられる。門下には、「通幻十哲」と称される優れた禅僧があって、通幻の教えを広めた。