オノコロ島(おのころじま)

 「自凝島」と表記する。記紀の神話では、日本で最初にできた島とされる。その内容は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神が、天浮橋(あまのうきはし)に立ち、天沼矛(あまのぬぼこ)で海をかき回して引き上げたとき、矛の先からしたたる潮が固まってできたというものである。空想上の島であるのか、現実の島のいずれかに擬せられていたのかは不明であるが、現在、兵庫県の淡路島、沼島をはじめ数か所をオノコロ島にあてる考えがある。

 
淡路島(あわじしま)

 瀬戸内海東部に位置し、大阪湾と播磨灘を画する、瀬戸内海最大(日本列島第11位)の島。面積は596平方キロメートルで、兵庫県土の7.1%を占める。島北端と本州の間は明石海峡、島南端と四国の間は鳴門海峡。島の北半部では、南北にのびる山地が島を東西に分け、南部にも島内最高峰の諭鶴羽山(ゆづるはさん:標高608m)を中心とした山地があって、平野は、両地域の間を流れる三原川(みはらがわ)流域に広がっている。

 島内の行政区画は、北部の淡路市、中部の洲本市、南部の南あわじ市からなり、3市を合計した人口は、2007年現在で約153,600人となっている。

 
沼島(ぬしま)

 淡路島の南海上にある、東西1.8km、南北2.5kmの島。行政区画上は南あわじ市に属する。沼島の名称は、紀貫之の『土佐日記』(成立は10世紀前半)にも見えるという。

 
家島(いえしま)

 家島群島は播磨灘北西部に位置し、大小40余の島からなる。家島の地名は、『播磨国風土記』にも見える。島名は「えじま」と言いならわされていたが、昭和3(1928)年に町制が施行された際には、「いえしまちょう」と定められた。平成18(2006)年に姫路市に合併された。

 
イザナギノミコト・イザナミノミコト
(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)

 記紀神話で、日本の国土を産んだとされる男女の神。イザナミノミコトが、火の神を産んだ際に火傷を負って亡くなり、イザナギノミコトがそれを追って黄泉国(よみのくに)を訪ねるという物語は著名である。黄泉国から戻ったイザナギノミコトが、禊(みそぎ)をした際に生まれたのが、アマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトで、その後の記紀神話の重要な位置を占める。

 
式内社(しきないしゃ)

 『延喜式』の「神名帳」に掲載されている神社。全国で2,861か所。

 
上立神岩(かみたてがみいわ)

 沼島東岸にある、高さ15mの巨岩(*)。先端が鋭く尖っており、国産み神話に登場する「天の御柱」にあてる伝説がある。(*上立神岩の高さについては、兵庫県大百科事典上に従った)

 
天の御柱(あめのみはしら)

 国産み伝説に登場する柱。天に届くほどの柱を意味するとされる。イザナギとイザナミが婚姻する際、左右からこの柱を廻り、両者が出会った所で声をかけ合ったという。

 
蛭子命(ひるこのみこと)

 日本神話に登場する神。蛭子神、水蛭神と同じ。イザナギとイザナミの間に最初に生まれた子であったが、婚姻の際、イザナミが先に声をかけたのが原因で、満足のゆく子にならなかったため、葦舟に乗せて流されてしまったと伝える。蛭子命と2番目に生まれたアワシマは、2神の子には数えないとされている。後に蛭子神は、恵比寿(戎:えびす)と同一視され、信仰の対象となった。

 
播磨灘(はりまなだ)

 兵庫県の播磨地域に面する、瀬戸内海東部の海域。東を淡路島、西を小豆島(しょうどしま)、南を四国によって画されている。面積は約2,500平方キロメートル。近畿、中国、四国、九州を結ぶ重要な航路がある。

 
神武天皇(じんむてんのう)

 記紀に登場する初代の天皇。和風諡号(しごう:死後に贈られる名)は、神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)。記紀によれば、日向(ひゅうが:現在の宮崎県地方)から軍勢を率いて東征し、大和を征服。紀元前660年に橿原宮(かしはらのみや:奈良県橿原市)で即位して初代天皇となったという。初めて国を統治した天皇という意味で、ハツクニシラススメラミコトとも呼ばれる。

 ただし天皇に関する記紀の記述のうち、特に初代神武天皇から第9代開化天皇までの記事は、合理性を欠く部分が多い上、系譜はあるものの旧辞(きゅうじ:記紀編纂の基礎となった史書。現存しない)に記されていたはずの事跡も記載がなく、生存の年代観も実際の歴史と整合しない。このためこれらの天皇は、朝廷の権威と支配を正当化するために付け加えられたものであり、いずれも実在ではないと考えられる。

 
天津神(あまつかみ)

 記紀神話で、神の国である高天原(たかまがはら)にいた神。高天原から日本国土へ降ってきた神、およびその子孫の神も天津神と呼ばれる。これに対し、元から地上にいた神を国津神(くにつかみ)と呼ぶ。

 
神功皇后(じんぐうこうごう)

 『日本書紀』によれば、第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后。名を息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)という。仲哀天皇の死後、これに代わって朝鮮へ出兵して、新羅を討ち、百済・高句麗を帰服させたとされるが、これは日本を大国として位置づけるための架空の説話である。

 
古事記(こじき)

 奈良時代に成立した歴史書。全3巻からなる。天武天皇(てんむてんのう)の命により、稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた歴史を、太安万侶(おおのやすまろ)が採録したという。天皇家の系譜を明らかにするという、政治的目的をもって編集されたもので、歴史書としては、日本に現存する最古のものである。

 
仁徳天皇(にんとくてんのう)

 第16代の天皇。『日本書紀』によれば290~399年の人物であるが、歴史上は5世紀前半の大王であったとされている。「倭の五王」として、中国の史書『宋書』、『南史』に記載された讃(さん)または珍(ちん)、『梁書(りょうしょ)』に記載された、賛(さん)または彌(み)に比定する見解がある。難波(現在の大阪市)に都を置いたとされ、陵墓は堺市の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)にある大仙(大山)古墳とされている。

 
檳榔(あじまさ)

 現代語ではビロウと呼ばれる。学名はLivistona chinensis。ヤシ科の常緑高木。ビンロウと混同されることがあるが別種である。東アジアの亜熱帯に分布し、日本列島での北限は福岡県沖ノ島である。

 古代には神聖視された植物で、現在でも、大嘗祭(だいじょうさい:天皇が即位した後初めておこなう、その年の収穫に感謝する祭祀(さいし))においては、天皇が禊(みそぎ:身を清めるための儀式)をする百子帳(ひゃくしちょう:祭祀をおこなうための小屋)の屋根材として用いられている。