伊和大神(いわのおおかみ)

 宍粟市(しそうし)一宮町の伊和神社の祭神。大己貴神(おおなむちのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、大名持御魂神(おおなもちみたまのかみ)とも呼ばれ、『播磨国風土記』では、葦原志許乎命(あしはらのしこをのみこと)とも記されている。

 播磨国の「国造り」をおこなった神とされており、渡来人(神)のアメノヒボコ(天日槍・天日矛とも書く)との土地争いが伝えられている。

 風土記には、宍粟郡から飾磨郡の伊和里(いわのさと)へ移り住んだ、伊和君(いわのきみ)という古代豪族の名が見えることから、この伊和氏が祖先を神格化した神と考えられている。

 なお、伊和神社の社叢(しゃそう)は、『改訂・兵庫の貴重な自然 兵庫県版レッドデータブック2003』の自然景観でBランクに選定されている。

 
播磨国風土記(はりまのくにふどき)

 奈良時代に編集された播磨国の地誌。成立は715年以前とされている。原文の冒頭が失われて巻首と明石郡の項目は存在しないが、他の部分はよく保存されており、当時の地名に関する伝承や産物などがわかる。

 
オオクニヌシ(おおくにぬし)

 記紀神話に登場する神。大国主命(おおくにぬしのみこと)。『日本書紀』ではオオナムチノミコトと同一神とされ、『播磨国風土記』では、葦原志許乎命(あしはらのしこをのみこと)、伊和大神と同一神とみなされているようである。オオクニヌシは、スサノオの子とも六世あるいは七世孫ともされ、出雲神話の祖となっている。

 
スクナヒコナノミコト(すくなひこなのみこと)

 記紀や風土記に見られる神。『日本書紀』では少彦名命(すくなひこなのみこと)、『古事記』では少名毘古那神(すくなびこなのかみ)。『播磨国風土記』では、オオナムチノミコトとともに国造りをおこなったとされている。道後温泉や玉造温泉などを発見したと伝えられ、温泉開発の神としても祭られる。『古事記』によれば、少彦名命は、天之羅摩船(アメノカガミノフネ:ガガイモのさやでできた船)に乗り、蛾(が)の皮の衣服を着て出雲国にやってきた小さな神とされており、民話「一寸法師」の原型とも言われている。

 
日吉神社(ひよしじんじゃ)

 神崎郡神河町比延(ひえ)に所在する神社。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、オオナムチノミコト、スクナヒコナノミコト。『播磨国風土記』の、「埴岡里」の伝説に関係がある神社といわれる。(『兵庫県大百科事典』下) 

 
初鹿野山(はじかのやま)

 神崎郡神河町に所在する山。標高は507.8m。初鹿野の名は、『播磨国風土記』の中の「波自加(はじか)村」に由来する。

 
応神天皇(おうじんてんのう)

 『日本書紀』によれば第15代の天皇。仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇子で、母は神功皇后とされる。名は誉田別命(ほむたわけのみこと)。記紀によれば在位は41年で、西暦310年に111歳あるいは130歳で没したとされる。伝説的色彩の強い天皇であるが、 『宋書』の東夷伝に見える倭王讃(さん)を、応神天皇にあてる説がある。陵墓は大阪府羽曳野市(はびきのし)に所在する、誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)に比定されている。誉田御廟山古墳は、全国で第2位の、全長425mを測る前方後円墳で、築造は5世紀前半と考えられている。

 
アメノヒボコノミコト(あめのひぼこのみこと)

 天日槍・天日矛とも書く。またアメノヒボコともいう。

 記紀や『播磨国風土記』などに記された伝説上の人物。新羅の王子で、妻の阿加留(流)比売(あかるひめ)を追って日本に来たという。その後、越前、近江、丹波などを経て但馬に定着し、その地を開拓したとされている。出石神社の祭神。

 
加古川(かこがわ)

 兵庫県の南部を流れる一級河川。延長96km、流域面積1,730平方キロメートルを測る県下最大・最長の河川である。但馬・丹波・播磨の三国が接する丹波市青垣町の粟鹿山(あわがさん、標高962m)付近が源流で、途中小野市、加古川市などを流れ、加古川市と高砂市の境で播磨灘に注ぐ。

 加古川の水運は、古代から物流を担う経路であったと考えられ、特に日本海に注ぐ由良川水系へは峠を越えずに到達できることから、「加古川-由良川の道」とも呼ばれて、日本海側と瀬戸内側を結ぶ重要なルートとされている。

 
峰相記(みねあいき)

 1348年ごろに著された中世前期の播磨地方の地誌。著者は不明である。播磨国峯相山鶏足寺(ぶしょうざんけいそくじ)に参詣した僧侶と、そこに住む老僧の問答形式で著されている。日本の仏教の教義にはじまり、播磨の霊場の縁起、各地の世情や地誌などが記されている。安倍晴明(あべのせいめい)と芦屋道満(あしやどうまん)の逸話、福泊築港、悪党蜂起の記述など、鎌倉時代末の播磨地域を知る上で重要な記録となっている。最古の写本は、太子町斑鳩寺(はんきゅうじ)に伝わる1511年の年記をもつもの。

 
たつの市(たつのし)

 兵庫県の播磨地域西部に位置する市。市域は、南北に流れる揖保川(いぼがわ)に沿って広がり、南は瀬戸内海に面する。平成19年11月現在の人口は、約82,000人。風土が生み出した手延素麺(てのべそうめん)や醤油醸造、皮革産業、かばん産業といった伝統的な地場産業で知られる。市街の中心には、龍野城がある。

 
安師里(あなしのさと)

 『播磨国風土記』に記された里の一つ。現在の姫路市安富町の安志付近に比定される。里名の起源は安師比売神(あなしひめのかみ:安志姫とも表記する)による。『播磨国風土記』によれば、安師比売が伊和大神の求婚を断ったことに怒った伊和大神が、林田川の源流をせき止めて流れを変えてしまったため、水量が少なくなったという。

 
ホアカリノミコト(ほあかりのみこと)

 『播磨国風土記』によれば、オオナムチノミコトの子であるが、記紀ではアメノオシホミミとヨロヅハタトヨアキツシヒメとの子とされている。『播磨国風土記』によると、あまりにも乱暴な子であったため、オオナムチが船に乗せて出航した際、立ち寄った場所に置き去りにしようとした。これがホアカリノミコトを怒らせ、海が荒れ狂ったため船は難破して、オオナムチは非常な難渋をしたという。

 
日女道丘(ひめぢをか)

 『播磨国風土記』に記された丘の名。現在の姫山に比定されている。