アメノヒボコノミコト(あめのひぼこのみこと)

 天日槍・天日矛とも書く。またアメノヒボコともいう。

 記紀や『播磨国風土記』などに記された伝説上の人物。新羅の王子で、妻の阿加流比売(あかるひめ)を追って日本に来たという。その後、越前、近江、丹波などを経て但馬に定着し、その地を開拓したとされている。出石神社の祭神。

 
円山川(まるやまがわ)

 兵庫県北部を流れて日本海に注ぐ但馬最大の河川。朝来市円山から豊岡市津居山(ついやま)に及ぶ延長は67.3km、流域面積は1,327平方キロメートル。流域には平野が発達し、農業生産の基盤となっている。河川傾斜が緩やかで水量も多いため、水上交通に利用され、鉄道が普及するまでは重要な交通路となっていた。

 
縄文海進(じょうもんかいしん)

 後氷期の世界的気温上昇に伴い、完新世初頭(約1万年前)に始まり、縄文時代前期の約6,000年前に最盛期を迎えた海面上昇。最盛期の海面は、現在より数メートル高かったと考えられている。

 
中谷貝塚(なかのたにかいづか)

 豊岡市中谷に所在する縄文時代中期~晩期の貝塚。1913年に発見された、但馬地域を代表する貝塚の一つである。出土する貝はヤマトシジミが98%を占めており、ほかにハマグリ、アサリ、マガキなどが見られる。また、クロダイ、タイ、ニホンジカ、イノシシ、タヌキなどの骨、トチ、ドングリなども出土している。ヤマトシジミは海水と淡水が入り混じる汽水域に生息することから、縄文時代の豊岡盆地が、入り江となっていたことがわかる。

 
長谷貝塚(ながたにかいづか)

 豊岡市長谷に所在する縄文時代後期の貝塚。出土する貝はヤマトシジミが80%を占め、サルボウ、マガキ、ハマグリなども見られる。また、タイ、フグ、ニホンジカ、イノシシ、タヌキなどの骨、トチ、ノブドウなども出土している。中谷貝塚同様、豊岡盆地が汽水域の入り江であったことを示す遺跡である。

 
絹巻神社(きぬまきじんじゃ)

 豊岡市気比(けひ)の、円山川河口右岸に所在する神社で、但馬五社の一つ。天火明命(あまのほあかりのみこと)、天衣織女命(あまのえおりめのみこと)、海部直命(あまのあたえのみこと)を祭神とする。背後の山地に広がる、シイ、クスノキ、サカキ、ダブ、ヤマザクラ、ツバキなどの暖地性樹林は、県の天然記念物に指定されている。

 
来日岳(くるひだけ)

 豊岡市城崎町の円山川左岸にある山。標高は566.7m。山麓には式内社(しきないしゃ)の久流比神社(くるひじんじゃ)が祭られている。夏季の早朝には、山頂から雄大な雲海を見ることができる。

 
小田井縣神社(おだいあがたじんじゃ)

 豊岡市小田井町に所在する式内社で、大己貴命(おおなむちのみこと)を祭神とする、但馬五社の一つ。羽柴秀吉の中国地方遠征にともない、多くの神領・神供田を没収されて衰微したが、17~18世紀に復興した。昭和になり、円山川河川工事で移転や境内の改築が行われて現在に至る。

 
オオナムチノミコト(おおなむちのみこと)

 記紀や風土記に見られる神。国造り、国土経営などの神とされるほか、農業神、商業神、医療神としても信仰される。大穴牟遅神・大己貴命・大穴持命・大汝命など、さまざまに表記される。『播磨国風土記』では、葦原色許乎命(あしはらのしこをのみこと)、伊和大神と同一神とみなされているようである。また記紀では、大国主神(おおくにぬしのかみ)と同一神として扱われる。こうした神名の多重性は、本来、各地域で伝承された別個の神を、記紀編集などの過程で統一しようとしたため生じたものであろう。

 
出石神社(いずしじんじゃ)

 豊岡市出石町宮内に所在する式内社(しきないしゃ)で、但馬五社の一つ。但馬国の一宮(いちのみや)。アメノヒボコを祭神とし、アメノヒボコが新羅よりもたらした八種神宝(やくさのかんだから)を祭る。

 
播磨国風土記(はりまのくにふどき)

 奈良時代に編集された播磨国の地誌。成立は715年以前とされている。原文の冒頭が失われて巻首と明石郡の項目は存在しないが、他の部分はよく保存されており、当時の地名に関する伝承や産物などがわかる。

 
養父神社(やぶじんじゃ)

 養父市養父市場に所在する式内社(しきないしゃ)で、但馬五社の一つ。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、大巳貴命(おおなむぢのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)などを祭神とする。

 
お走りさん・お走り祭り
(おはしりさん・おはしりまつり)

 養父神社で4月15・16日におこなわれる祭りで、但馬三大祭に数えられる。祭りの由来は、但馬五社の神々が養父市斎(いつき)神社の彦狭知命(ひこさしりのみこと)に頼んで豊岡市瀬戸の岩戸を切り開いてもらい、豊かな大地が生まれたので、養父大明神が代表として、彦狭知命にお礼参りするという故事による。

 祭りの朝、「ハットウ、ヨゴザルカ」のかけ声で、神輿は養父神社を出発。斎神社までの往復35kmを練り走る。重さ150kgの神輿が、軽く走っていくように見えたことから「お走り」という名が付いたとされる。もとは旧暦12月におこなわれていたが、厳寒の季節で川渡りが大変であったことから、明治10(1877)年に現在の日程になったという。

 
斎神社(いつきじんじゃ)

 養父市長野に所在する神社で、彦狭知命(ひこさしりのみこと)を祭神とする。養父神社との間でおこなわれる「お走り祭り」は、但馬三大祭の一つとされる。

 
粟鹿神社(あわがじんじゃ)

 朝来市山東町粟鹿に所在する式内社(しきないしゃ)。但馬五社の一つで、但馬国一宮ともされている。延喜式に定める名神大社(みょうじんたいしゃ)で、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)または日子坐王(ひこいますおう)を祭神とする。勅使門は市指定文化財。

 
延喜式(えんぎしき)

 藤原時平、忠平らにより、延喜5(905)年から編纂が始められた法令集で、全50巻。完成は927年。967年から施行され、その後の政治のよりどころとなった。

 
名神大社(みょうじんたいしゃ)

 延喜式で定められた神社の社格。鎮座の年代が古く由緒正しくて霊験ある神社。名神社。

 
勅使門(ちょくしもん)

 勅使(天皇の使者)が寺社に参向した時、その出入りに使われる門。

 
アマツヒダカヒコホホデミノミコト
(あまつひだかひこほほでみのみこと)

 記紀神話に登場する神。邇邇芸命(ににぎのみこと)が、高天原から九州の高千穂の峰に降り、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)と結婚して産まれた子の一人。表記は天日高日子穂穂出手見命であり、アマツヒコヒコホホデミノミコトとも読む。三人の子は、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、火遠理命(ほおりのみこと)と呼ばれる。このうち火遠理命の別名が、アマツヒダカヒコホホデミノミコトとされている(『古事記』による)。また、火照命は別名を海幸彦(うみさちひこ)、火遠理命は別名を山幸彦(やまさちひこ)ともいう。